第一幕 雷神の涙
ーバーハラ城ー
バーハラの宮城の地下深くドス黒い血糊で塗られ死人の手に持たれた燭台の照らされた部屋の中に二つの影が蠢いていた。
「そうか、父上は死んだか」
ユリウスは赤水晶の皿の上に置かれた人の眼球を手に取り口の中で噛み潰しながら言った。開かれた口の牙から眼球の粘液が粘っこく滴る。
「皇帝など所詮は飾りの道具。始末する手間が省けただけのことです」
マンフロイは赤子の心臓を自分の手で握り潰しその血を夜光杯に入れる。硝子の中の血を飲み干し主に言った。口の端から紅の血が流れ落ちる。
「フフフ、そうだな」
ユリウスが笑う。父の死を嘲笑っている。
「あ奴は忌まわしきファラの血を強く受け継いでおりました。どの道いずれは我等に反旗を翻していたでしょう」
「だろうな。その時私が始末してやろうと思っていたが。あの女と同じ様に絶望を極限まで味あわせ苦しみ抜かせてな」
笑った。人の笑みではなかった。魔界の奥底に棲む異形の神の邪で残酷な笑みだった。
「ところでマンフロイよ、あの女の娘は今どうしている?このバーハラに連れて来ているのだろうな」
ユリウスは尋ねた。
「勿論です。生かしております」
マンフロイは笑って答えた。
「そうか。よし、今すぐこの部屋に連れて来るのだ。十年振りの兄と妹の対面を楽しみたい」
「御意に」
マンフロイが指を鳴らすと暗灰色がかった不気味な色の法衣を着た魔道師が数人床から影の様に現われた。マンフロイは彼等にあの娘を連れて来い、と命じた。魔道師達は頷くと再び床の中に消えた。
「さて、我が愛すべき妹殿はどれだけ美しくなっているかな。ククククク・・・・・・」
ユリウスは血が注がれた夜光の杯を傾けながら笑う。真紅の瞳が縦になっていく。
程無くして魔道師達に連れられて青と紫の瞳の少女が部屋に入って来た。
シアルフィにいた時と比べてかなりやつれた感がある。だが態度は毅然としており二つの色の瞳の光は強い。キッ、とユリウスを見据えている。
「剣呑だな。少しは十年振りに再会した兄を懐かしんだらどうだ」
口の端を歪めて笑った。だが目は全く笑ってはいない。激しい殺意と憎悪の光を発している。
「・・・・・・違うわ」
ユリアはユリウスを見据えたまま言った。
「貴方は兄様なんかじゃない」
その声と瞳には憎しみと怖れ、そしてそれに打ち勝とうとする強い気持ちが表われていた。
「十年前のあの日から私の優しい兄様はいなくなったわ。今私の目の前にいあるのは私を手にかけようとしお母様を殺した魔物よ、貴方は兄様の姿を借りた魔物よ!」
「魔物!?下賤な呼び方だな」
ユリウスはそれに対して言った。
「この世を統べる神である私に対して」
右手の夜行杯が黒い炎により焼き尽くされた。否、それは炎ではなかった。闇の瘴気であった。
「忌まわしき聖戦士共により倒されてから百年、ようやく復活が成ったのだ。マイラの血が合わさることによってな」
そう言うとゆっくりとユリアに歩み寄ってきた。黒い瘴気は右手だけでなくその全身も包んでいた。
「最早この世は完全に私のものとなる。ヘイムとバルドの娘よ、貴様を喰らうことにより永遠にな」
紅い瞳が完全に竜のものとなった。部屋の中の机や椅子等を溶かしつつ瘴気がユリアにゆっくりと迫る。
ユリアは逃げなかった。覚悟していたのではない。心に勇気を宿らせていた。負けるわけにはいかなかった。必ずこの瘴気を跳ね返すつもりであった。
瘴気がユリアに触れんとするその時であった。
その気が消え去った。ユリウスの竜の眼が人のものとなった。そして床に蹲りもがきはじめた。
「クッ、こんな時に・・・・・・!」
全身がワナワナと震える。顔中から脂汗が流れ出歯と牙がガタガタと鳴る。
「で、出るな。出るなあーーーーーっ!」
両手で頭を抱え上体を起こし叫ぶ。何かと格闘しているようだ。
「ど、どういうこと・・・・・・?]
ユリアはもがき苦しむユリウスを見て不思議に思った。すぐにマンフロイが二人の間に割って入った。
「ユリウス様、この娘を殺すのは何時でも出来ましょう。私に考えがあります。この娘を使ってちょっとした余興を見せてさし上げましょう」
「・・・・・・うむ、そうか」
震えは止まった。だがまだ肩で息をしている。
ユリアはマンフロイと魔道師に抑えられ黒い渦の中に消えた。後に残ったユリウスは一人闇の中に蹲っていた。
ーエッダ城北西ー
解放軍はイシュタル率いる光騎士団が護るドズルへ向けてシアルフィ、エッダの二方向から進撃することにした。シアルフィからはセリスが直率する主力舞台八十万が、エッダからはブリアン、アレス、リーフ、ラインハルト、そしてアーサー等が率いる精鋭騎士団十万が進撃していた。
ドズルとシアルフィ、エッダは高い山脈によって隔てられている。それぞれの方向に峡谷があり通行はその二つの峡谷を利用していた。
従って事あらばこの峡谷が干戈交える地となるのは当然の成り行きであった。先の聖戦においても進撃してくる暗黒教団の軍勢を弓戦士ウルが迎撃しその間に黒騎士ヘズルが分進合撃しドズルを陥落させるということがあった。
今も二つの軍が峡谷を挟んで睨み合っていた。ただその戦力差は圧倒的でありイシュタルは死を覚悟してこの戦いに挑んでいることは明らかであった。
(イシュトーやティニーはどう思っているんだろうな)
アーサーはふとシアルフィの方へ目をやった。そちらには彼等がセリスの下軍を率いて同じくドズルへ進撃しているのだ。
複雑であろう。イシュタルはイシュトーの実の妹であるしティニーにとって彼女は姉と同じなのだ。
だが今のアーサーには何も出来ない。今はこれから戦い勝たねばならない敵のことを考えなくてはならないのだ。
「それにしても高い岩山だな」
峡谷を通り過ぎる際に左右に高く聳える岩山を見上げて言った。
「そうだ。上もあまりに険しく伏兵には適さない。だが飛兵だけは別だ」
ブリアンが岩山を見上げるアーサーに対して言った。
「飛兵ですか。気を付けて下さい、イシュタル様の友人に恐るべき三騎のファルコンナイトがおります」
ラインハルトが言った。
「それは誰?」
リーフが問うた。
「メング、フレグ、エイベルの三人の女将軍です。シレジアの王家の血を引く者達でかってはシレジアにいました」
「あの三人か・・・・・・」
アーサーは彼女達を知っていた。
「しかしイシュタル様とは交際が長く共に戦うこともあったのです。レンスターの戦いにはシレジア及びグランベル本土防衛の為参加しておりませんでしたがその強さは鬼神の如きです。とりわけその剣技は三人共私よりも上です」
「それは厄介だな」
アレスが言った。
「はい。試合において勝ったことがありません。彼女達が来るならば相当な覚悟が必要です」
「そうか、良い事を聞いた」
アレスが言った。先程の言葉とは正反対である。
「皆覚悟は出来たな。上からその連中が来たぞ」
上空から三騎のファルコンナイトを先頭に天馬達が舞い降りて来る。アレスはミストルティンを抜いた。戦いが始まった。
戦いは乱戦となった。上空から襲い掛かる天馬達は一撃離脱を繰り返し消耗を強いてくる。対する解放軍はリーフがメング、アレスがフレグの相手をしている。ラインハルトとブリアンは一度に十騎の天馬達の相手をしており指揮も
ままならない。
アーサーはエイベルの相手をしていた。
上から剣撃が次々と繰り出される。それを必死にかわす。こちらからも炎と雷を矢次早に撃つ。だがそれを華麗な舞いを舞う様にかわしている。
「やばいな。これはかなりの強敵だぞ」
アーサーは横に一閃した剣を後ろに身体を反らしてかわしつつ考えた。
「あれを使いしかないな」
エイベルは馬首を転じ天空へ舞い上がった。次には必殺の一撃を繰り出すつもりのようだ。
迷っている暇はない。今やらなければ逆にこちらがやられる。
「やるか」
使いこなせるか不安があった。だが使うしかない。アーサーは賭けた。
「ファラフレイム!」
アーサーの手首を合わせた形で開かれた両手の平から青い巨大な火球が放たれた。
馬程の大きさのその青い炎は凄まじい速さで急降下してくるエイベルに襲い掛かった。
火球がエイベルを直撃した。青い炎が爆発したように見えた。
エイベルはその全身も愛馬も全て青い炎に包まれた。彼女は燃えながらゆっくりと落ちていく。瞬く間に灰となり空から消え去った。
あまりのことに戦場は静まり返った。だがそれはすぐに解放軍の大歓声となった。これで戦局は一変した。
シアルフィ側の峡谷ではイシュタルが光騎士団の主力を率いて布陣していた。
指揮を執るイシュタルの顔は悲愴であった。まるで死出の旅に出るようであった。
「エッダの方はどうなっていますか?」
傍らに控える参謀の一人に問うた。
「連絡が取れません。無事だとよいのですが・・・・・・」
暗い顔である。彼の考えている事が悲しい程よくわかる。
「そうですか。健闘していればよいのですが」
それ以上は言わなかった。だがその時であった。
エッダの方から駆けてくる軍勢が現われた。
旗は解放軍の青いシアルフィの旗である。イシュタルはもう何も言わなかった。
シアルフィの方からも大軍が押し寄せて来ている。最早どうすることも出来ない。
全軍に停止するよう言った。そのうえでゆっくりと前方のシアルフィ軍の方へ歩いて行く。
部下達が必死に止める。だが聞こうとしない。右手に雷を宿らせていく。
「・・・・・・どうやら死ぬ気みたいだね」
セリスはこちらに歩いて来る彼女を見て言った。
「・・・・・・・・・」
イシュトーは何も言わなかった。否、言えなかった。自分ではもう何も出来ない、それがわかっていたのだ。
(それでも行くしかないな)
そう意を決した時だった。
「私が行きます」
彼の心を察したのかセティが出て来た。そしてイシュタルの方へ歩いて行く。神器に対抗するには神器しかなかった。
両者は対峙するやすぐに互いの魔法を繰り出した。風と雷がぶつかり合った。
凄まじい衝撃音を立て二つの魔法が中空で争った。銀色の風と緑の雷が二人の顔を染め上げている。二人はさらに力を込めた。
セティの力が勝ってきた。雷が次第に押されだした。
雷が弱くなっていく。そして風が押していく。
風が勝った。雷が弾け飛んだ。衝撃でイシュタルが吹き飛ばされた。
イシュタルは地に叩き付けられた。全身を鈍い激痛が襲った。彼女は痛みをこらえ上体を起こした。
「・・・・・・殺して」
ポツリ、と言った。
「殺して!」
目をつぶり地に叩き付けるように叫んだ。
「イシュタル王女・・・・・・」
誰もが立ちすくんだ。彼女の心がわかっていたからだ。
「人々を護りユグドラルの平和を護る聖戦士の務めを棄て暗黒教団に手を貸してきた私に生きる資格なんて・・・・・・。ユリウス様ももうこの手に届かない・・・・・・」
彼女は言葉を続ける。
「こんな私がこれ以上生きていても・・・・・・」
「それは違う」
イシュトーが妹の前に来て言った。
「お兄様・・・・・・」
かってミレトスで一騎打ちを演じたこともある。そんな兄妹だ。
兄の表情はいつもと変わらない。だがその声には厳しさがこもっていた。
「それは御前が決めることではない。御前が死んで何になるというのだ」
「それは・・・・・・」
「御前を慕う者達や御前の力が必要な力無き者達はどうなるというのだ!?命を粗末にするな」
「・・・・・・・・・」
「バーハラに送られる筈だった多くの子供達を御前が助け出したことは知っている。御前は確かに罪を犯したかも知れない。だがその罪を自らの手で清めたのだ」
「私の罪を私で・・・・・・」
「それはここにいる全ての者がわかっている。もしまだ罪があるというのならこれから償えばいい」
「これから・・・・・・」
「そうだ、この娘もそれを望んでいる。イシュタル、死ぬのは何時でも出来る。だが今はその時ではない」
ティニーがいた。暫く見ない間に美しくなっている。
「ティニー・・・・・・」
彼女は優しく微笑みながら近付いて来る。
「イシュタル姉様、アルスターでのこと、覚えておられますか?」
彼女は問うてきた。
「決闘の約束ね。私が貴方の耳を噛んだ」
「はい。今その約束を果たしますわ」
そう言うとイシュタルの顔に近付きその額に接吻した。そして両手で彼女の頭を抱いた。
「和解の挨拶は相手の額への接吻でしたわね。これが私の答えです」
「ティニー・・・・・・」
「私をいつも妹と呼び可愛がって下さった姉様とどうして戦えましょう。姉様は今までも、そしてこれからもずっと私の優しい姉様です」
その言葉を聞いたイシュタルの黒い瞳から涙が零れた。
「許してくれるの、私を。貴女を敵と言った私を」
「許すも何も。姉様とこうしてお会い出来たことが何よりの喜びだというのに」
涙が止まらない。もうどうしても止められなかった。
「・・・・・・有り難う」
そう言うとティニーの腕の中で子供の様に泣きじゃくった。その姉を妹は母の様に優しく包んでいた。
光騎士団は全軍投降した。彼等は全軍解放軍に組み込まれ軍の一翼を担うこととなった。
イシュタルは解放軍が無血入城したドズル城の一室で客分として待遇を受けることとなった。セリスの配慮で捕虜にはならず解放軍への参加も本人の意思に任されることとなった。
「御姫様、いるかい」
扉をノックする音がする。
扉を開けた。そこには彼がいた。
「ファバルさん・・・・・・」
「どうしてるかと思ってな。差し入れ持って来たぜ」
そう言うと五羽の兎の丸焼きとそれと同じ数の酒樽を後ろから取り出した。
イシュタルは彼を部屋に入れたそして二人で談笑しながら酒と肉を味わった。
「美味しい」
兎の腿を手で取って一口食べた。それを見たファバルは笑った。
「美味いか?」
「はい、とても」
彼女は答えた。
「だろう?その兎は俺の妹が焼いたやつだからな。スパイスがよく効いているだろう」
「ええ」
「妹はお転婆だけど昔から料理とか家事は得意なんだ。職業がシーフファイターのせいか手先が器用でね」
「いい妹さんですね」
「まあ最近彼氏が出来て俺のことはほったらかしだけれどな」
「うふふ」
イシュタルはそれを聞いて笑った。
「よりによって自分の従兄とくっつきやがった。妹の彼氏に兄貴ぶる楽しみが半減しちまった」
「面白い妹さんですね」
「会ってみるか?今街の酒場で仲間達と飲んだくれてるだろうけど」
「はい」
「よし、じゃあ行こう」
二人は兎と酒を持って街へ出た。もう夕暮れであった。そこで一際騒いでいる酒屋があった。
店に入った。中にはパティがいた。その彼氏がいた。いつもの面々がいた。
「あれ、兄さん一人で飲むんじゃなかったの?」
既に顔を真っ赤にして樽ごと酒を飲んでいる。
見ればいつもの面々は巨大な円卓で相変わらずの食欲と酒豪ぶりを遺憾無く発揮している。骨に皿、空の樽が辺りにうずたかく積まれている。
「ちょっと気が変わってな。悪いが席を二つ用意してくれ」
「あいよ」
マーティが出した席に二人は着いた。側にあるザワークラフトとソーセージ、ジャガイモのバター煮とアイスバイン、果物、そして酒樽を持って来た。
「じゃあ飲むか。遠慮なくどんどん飲んでくれ」
酒樽を一個勧める。
「あの、ファバルさん」
イシュタルが恐る恐る小声で話しかける。
「何だい!?」
「いつも・・・・・・こうなんですか?」
卓を見回した。ミーシャはアズベルに抱きつきパティとオルエンは喧嘩しブリアンはただひたすら飲み喰らいマナは皮ごとオレンジにかぶりつく。ヨハルヴァは大樽に頭を入れて飲みアマルダはイリオスにからんでいる。いつもと全く変わらない。
「何か変か!?」
「・・・・・・いえ」
何処かおかしいかな、と首を傾げるファバルにイシュタルは沈黙した。
「まあ飲んで飲んで。飲めるんだろ?」
「ええ、まあ」
こう答えたのが運命の分かれ目であった。
樽を両手に取り飲んだ。何と一気に飲み干した。
樽が乾いた音を立て床に落ちた。同時にファバルも一樽飲み干していた。
「もう一樽」
「あいよ」
また一樽飲み干した。そしてまた酒を所望する。
「どう、美味いだろ?」
ファバルが尋ねる。
「はい、はじめて飲んだお酒ですね。何というお酒ですか?」
「これ?ウォッカ」
「ウォッカ?」
「ああ。シレジアの酒だよ。あまり強くない酒さ。うちの連中は皆水みたいに飲んでいるよ」
「強くないんですか。それじゃあ幾らでも呑めますね。お酒に弱い私でも」
「そうだろ、じゃあ飲み明かすか」
翌朝店の酒と食べ物を全て平らげてそのまま店の中で酔い潰れてしまった一同が二日酔いの目で見たものは寝ているファバルを押し倒しその唇に己が唇を重ねそのうえに覆い被さったまま寝ているイシュタルであった。一体何があったのかそこにいた者は誰も覚えていなかったのが残念であった。
その日の朝イシュタルはセリスの前に現われた。服は黒のドレスではなく全て白に統一された軍服とズボンであった。しかもマントやブーツまで白であった。彼女はフリージ式の敬礼をし解放軍への参加を希望した。セリスはそれを快く受け入れた。こうして雷神イシュタルも星達の中に入っていったのである。
雷神イシュタルも解放軍へと参入。
美姫 「勝負の行方は、既に決まったのかしら」
しかし、敵には強者もいるから、まだまだ分からないぞ〜。
美姫 「果たして、セリスたちの行く末は…」