第八幕 騎士
マンスター東にマンスター山脈という比較的高い山脈がある。その向こう側がフィアナと呼ばれる地である。
複雑に入り組んだ小さい河川と海岸線で知られ農業や漁業が盛んである。レンスター領にありそれなりに豊かな地であったが戦略的に重要ではなく特に堅固な城塞は建てられなかった。比較的小規模の町や村が存在し民衆は平和に暮らしている。
そんなフィアナ南部のある村である。村の中の大きい家の中の一室に一人の若者が横たえられていた。
端正な顔立ちである。引き締まり気品が漂っている。黒い髪は下ろされている。長身であり身体も鍛えられ良い筋肉をしている。どうやら騎士らしい。
目覚めた。目の前には木の天井がある。右を向いた。窓からのどかな田園が見える。農夫が牛で畑を耕し水車が回る。若い娘が乳牛の乳を搾り幼い男の子が犬と共に羊の世話をしている。水田は緑の稲が並びカラカラと鳥避けの板の音がする。
「ヴァルハラではないようだな」
騎士は楽しそうな農夫や娘達の姿を見ながら呟いた。ベッドから起き上がる。左肩の傷には包帯が巻かれている。上半身は裸であった。見れば軍服とケープが壁に掛けられている。扉には鍵がかけられていない。どうやら敵の捕虜になったわけではないようだ。
「何処かの農家の家らしいが・・・・・・何処だ?」
口に右手を当てて窓を見ながら考えたがわからなかった。そもそも何故ここにいるのかさえも解からない。
「とりあえず部屋から出るか」
服を身に着けケープを手にし扉を開けた。廊下を歩くとやや広い部屋に出た。中年の女がかまどの側で火を焚き幼い娘がそれを手伝っている。家の主人らしき男が息子らしき少年にあれこれ指示を出しながら色々と食器や食べ物を出している。昼食の用意をしているようだ。
家の主人が騎士に気付いた。にこやかに微笑を返してきた。
「お気付きになられたようですね」
「はい」
悪い人物ではないようだ。むしろかなり良い印象を受ける。
「丁度昼飯を用意していたところです。御一緒しませんか?」
「そちらがよろしければ」
主人とその家族達と共に食卓に着いた。ガーリックとベーコン、オリーブ油のスパゲティに生ハム、人参やキャベツ、赤玉葱を煮たもの、そしてトマト味のリゾットとビールであった。量も多く中々美味しそうである。口に入れてみた。
美味かった。スパゲティはコシがありオリーブと程好くからまっている。ハムは手頃に斬られ弾力があり野菜も柔らかい。リゾットはトマトの味をうまく引き出し温かくよく炊かれている。ビールもよく寝かされていたのか甘味と苦味が調和し喉越しが涼しい。
騎士は食べながら主人にここは何処か、そして自分は何故ここにいるのか問うた。主人は快く答えてくれた。
主人によるとこおはフィアナのやや南にある小さな村だという。自分がこの村の村長でマニフィコという。妻はミカエラ、息子はダーヴィット、娘はマグダレーネという。子供達の名がグランベル風なのは二人の名付け親の妻の父がエッダ出身だかららしい。マニフィコによれば一週間程前自分がトラキア河南岸のある港町で麦を売りに行った帰り岸辺に流れ着いている騎士を見つけ救い出したのだという。そして傷の手当てをし船でこの村まで帰り昨日の夕暮れにこの村に着き部屋に寝かせたのだという。
「そうか、あれから一週間も経つのですか」
「コノートでの戦いのことですな」
マニフィコは騎士に問うた。
「はい」
「よくぞ生きておられました。あの時は豪雨で河の流れも急でしたのに」
「運が良かったのですかね」
「いえ、そうではないでしょう」
マニフィコは真剣な顔になった。
「貴方が今生きておられるのは天命なのです、将軍」
「将軍!?まさか・・・・・・」
騎士は思わず身構えた。自分の事を知っている、そう直感した。思い当たるフシはある。
「申し訳ありませんが貴方の腰にある剣の鞘の紋章、拝見させて頂きました」
やはり、騎士は確信した。
「雷を身に纏わせた青き天狼、それを持つのは大陸で一つだけです」
マニフィコは続けた。
「ラインハルト将軍、貴方だけです」
観念した。今手には何も無い。例えあったとしても武器を持たぬ者に振るうわけにはいかない。だがマニフィコも家族も観念した顔で彼等を見るラインハルトを宥めるように笑った。
「御安心下さい。殺したりもシアルフィ軍に引き渡したりもしません」
「!?」
ラインハルトは意外に思った。
「貴方は今までレイドリックや盗賊達から我々を護って下さり我々の為に戦ってこられました。私達は皆貴方に深く感謝しているのです」
「・・・・・・・・・」
ラインハルトは黙ってマニフィコ達の穏やかな顔を見ながら聞いている。
「その様な御方を害したりはしません。我々でもそれ位の道理は知っています」
彼は妻にある物を出させた。
「将軍が持っておられた魔道書をお返し致します。そして村の鍛冶屋が寄進した銀の剣と村の者全員が出し合った金です。そして馬を外に一頭用意しておきました」
「私なぞにそこまで・・・・・・。かたじけない」
ラインハルトは頭を深く垂れた。
「いえ、私共は将軍に恩を少しばかりお返ししただけです。将軍がおられなければ我々は今ここにいられたかどうかもわかりません」
「・・・・・・」
ラインハルトは言葉が出なかった。その代わりに涙が滲んできた。
「さあどうぞ受け取って下さい。そして将軍の信じる道を歩んで下さい」
食事が急に塩辛くなった。身支度を整えようと髪に油を付けようにも視界が濡れ思うように出来なかった。
ラインハルトはマニフィコ達に礼を言い家を後にした。
(これからどうするか・・・・・・)
主家であるフリージ家は敗れブルーム王は倒れた。イシュトー王子もイシュタル王女も確かな所在はわからない。残忍なヒルダなぞ仕える気にもならない。他のフリージの者は今や殆どがシアルフィ軍にいる。皇帝の座すグランベルには辿り着けそうにもない。
馬に乗り村を見回した。平和で楽しく暮らす村人達がいる。
(剣を捨て彼等と共に暮らすか)
ふとそう考えた。その時だった。西の空から幾つかの影が来た。
(!?)
悪寒が背筋を走った。急いで馬を走らせる。
不幸にもその悪い予感は的中した。トラキア軍とおぼしき竜騎士達が舞い降りて来る。
残忍な笑い声を挙げながら火の点いた油壺を水車小屋に投げる。小屋は瞬く間に燃え上がる。
剣や槍を手に逃げ惑う少女や牛達を狩りを楽しむかのように追い立てる。少女をその槍が貫こうとしたその時だった。
雷球が騎士の槍を撃った。槍は粉々に吹き飛んだ。
「何ィ!?」
竜騎士達は雷球が飛んできた方を見た。そこには拳を突き出したばかりの騎士がいた。
(これが運命か・・・・・・。やはり私は戦わなくてはならないようだな。民の為に)
少女がラインハルトに礼を言う。ラインハルトはそれを手で制すると少女に村の人達にトラキア軍の事を伝えるように言い立ち去らせた。後には竜騎士達とラインハルトだけが残った。
「誰だか知らねえが馬鹿な野郎だ。たった一騎で俺達とやり合おうってんだからな」
上から半円状にラインハルトを取り囲む。だが彼は全く臆してはいない。
「殺してやる前に名前だけでも聞いてやるよ。おい手前、名は何て言うんだ!?」
「野蛮な飛猿共に言う名なぞ無い」
竜騎士達を見上げ侮蔑した眼で言った。侮辱された騎士達がいきり立った。
「手前!」
ラインハルト目がけ一斉に襲い掛かる。彼はそれを冷静に見ていた。
右手を引き絞る様に肩の高さで左に水平に引く。次第に雷が宿る。
拳を握り締めた。そして前に突き出すと同時に右手の全ての指を思いきり開いた。
「ダイムサンダ!」
ラインハルトが魔法の名を叫ぶと右手の五本の指から無数の雷が一斉に放たれた。それは龍の様に四方八方に飛び回り竜騎士達を撃った。無数の雷を受けた竜騎士達も飛竜も地に落ちそのまま動かなくなった。皆即死だった。
「我がブラウブルグ家に伝わる魔法ダイムサンダ、流石に凄まじい威力だ」
ラインハルトはまだ右手に雷を宿らせながら思わず声を漏らした。だがその時左肩に痛みが走った。
「だが今の私には荷が重かったようだな。これ以上この魔法は使えそうにないな」
「そうか、それは結構な事だな」
上から声がした。
「貴様は・・・・・・」
一騎の竜騎士が上にいた。手に槍を持ち残忍な笑みを浮かべている。
「我が名はドボルザーク、トラキア竜騎士団の将の一人だ」
「トラキア・・・・・・。貴様達はまた侵略により武器を持たぬ者達を手にかけるのか。それが貴様等の正義なのか」
「フン、何とでも言え。貴様らの様な連中に我等の事がわかってたまるか」
ドボルザークは続けた。
「わからぬさ。貴様等のような持ちし者に持たざる者の事はな」
「だからといって侵略し多くの者を殺めてもか」
「これ以上の議論は無駄だな。死ね」
槍を構え舞い上がると襲い掛かって来た。これ以上攻撃を出せない、ラインハルトは死を覚悟した。
ラインハルトは襲い来るドボルザークから目をそらす事無く見ていた。彼は表情を変えず来る。今まさに槍が胸を貫こうとしたその時彼の動きが止まった。
「む!?」
ドボルザークはゆっくりと右に倒れていく。そしてそのまま地に伏した。見れば首に矢が刺さっている。
「誰だ!?」
右を見た。そこには矢を放ったばかりの若い茶の髪の騎士がいた。
「勝負に水を差し申し訳ありません」
若い騎士は弓を収め頭を垂れた。
「いえ、こちらこそ危ないところを救って頂き有り難うございます。よろしければ卿の御名前を教えて頂きませんか?」
「ロベルト、解放軍のロベルトです」
騎士は名乗った。
「おお、卿がロベルト殿ですか。ご高名は聞いております」
「貴方のような見事な騎士にそう言って頂けるとは光栄です、将軍」
「・・・・・・ご存知でしたか」
ラインハルトは顔を少し暗くした。
「はい、ですが我々は将軍と剣を交えに来たのではありません」
「えっ!?」
「我々はトラキアからフィアナの民を護る為にこの地に来たのです。あちらを御覧下さい」
ロベルトの指差した方ではトラキアの竜騎士達が全て倒され解放軍が村人達を護る様に位置している。
「我等はレンスターの民衆を護る為にマンスターに侵攻してきたトラキアに宣戦を布告しました。それを受け私は部下を連れこの村に来たのです」
「予めトラキアとの衝突を考えこのフィアナに来ていましたね?」
ラインハルトはコノートでの戦いの日から計って解放軍の動きを読んだ。
「流石ですね、その通りです」
ロベルトは微笑んで言った。
「やはり」
ラインハルトは解放軍の見事な戦略眼に称賛の念を感じた。同時に民を思うセリスの心も知った。
(だがもう少し見たいな。果たして彼等と帝国どちらが正しいか。それからでも遅くはないだろう)
ラインハルトは考え終えた。そしてロベルトに近付いた。
「ロベルト殿」
「はい」
ラインハルトは気を落ち着けた。そして口を開いた。
「暫くの間私を貴方達シアルフィ軍と同行させて下さい。そして貴方達の本当の姿を見たいのです」
「喜んで」
ロベルトはその申し出を快諾した。かくしてラインハルトはフィアナに来た解放軍と行動を共にする事となった。そこで彼はリーフやフィンといった解放軍の将達の明朗で誠実な人柄、解放軍の規律正しい風紀と行き届いた訓練及び装備、彼等を喜んで迎える民衆の明るい笑顔といったものを見る。
後にラインハルトはこの大陸における一連の戦いの回想録を書き残した。この回想録は公正かつ的確に整然とした文章で書かれており歴史資料としても文学作品としても非常に優れたものとして評価されている。そこにこうある。
『あの時彼等の真の姿と民衆を見たいと思ったのは正に天からの声だった。あの時そう思わなかったならば今私はここにこの回想録を書いてはいなかっただろう』
確かに天からの声だったかも知れない。しかしそれを選んだのは彼自身であり彼は自身で輝きはじめたのであった。
ラインハルトも解放軍へとその身を。
美姫 「間近で彼らを見て、どう決断するのか」
解放軍とトラキアとの戦いの行方は?
美姫 「次回も楽しみにしてますね〜」