第二幕 鏡を持つ少女


 ーミレトスー
 ペルルーク城から西に離れた岸に着けた小舟から降り立ったイシュトー達は歩き出した。
 「それにしてもペルルークの警護、固うございましたな」
 部下の一人がペルルーク城の方を見ながら言った。
 「まさか我等まで通さぬとは。ミレトスでそれ程重要な事が行なわれているのか」
 別の部下も眉を顰め言った。
 「それにしてもこの鎖国状態は異常だ。ユリウス殿下は一体何を考えておられるのだ?」
 「それだ、これはどう見ても討伐や防衛の為の警護ではないぞ。まるで何かを隠す様な・・・・・・」
 「だとしたら何だ?このミレトスは南は豊かな商業と農業の地、北は森に覆われたミレトス神殿の地、一体何があるというのだ」
 「ミレトス神殿・・・・・・。『ミレトスの嘆き』か・・・・・・」
 「帝国の粛清か?今まで日常的に行なわれている。見せしめとしてな」
 「そもそもこの奇妙な事態をアルヴィス陛下はどうお考えだ?あまりにも不可思議だぞ」
 部下達は歩きながら己が考えを言い合う。だが話は堂々巡りで結論は出そうにない。
 「卿等ペルルークの兵士達を見たか?」
 イシュトーが先頭を歩きながら言った。
 「えっ!?」
 部下達が足を止めた。
 「立ち止まらなくていい。帝国の軍服を着た将兵の中に混ざっていたドス黒い血と墨を混ぜたような色の服の者達に心当たりはないか?特に一番後ろにいた異様な色の法衣の司祭はどの教団の者か知っているか?」
 「いえ、全く・・・・・・」
 部下達は一様に頭を振った。
 「やはりな。私も全く知らない。ユグドラルはおろかアカネイアやバレンシアのどの国、どの教団のものとも違う。一体あの者達は何者なのだ?帝国と、そしてユリウス殿下と何か関係があるのか?」
 「言われてみれば・・・・・・。あの者達何者か・・・・・・」
 「以前よりユリウス殿下の周りには素性の知れぬ怪しい者が多かったがもしや・・・・・・」
 「帝国の兵士達の顔も我等に何か言いたげだったような・・・・・・」
 「向こうに村が見える。あそこで色々と話を聞いてみよう。何か解かるかもしれない」
 「はっ」
 一行は村に入った。そこで彼等は恐ろしいものを見た。
 「何だ、これは・・・・・・」
 家々は焼かれ無惨に壊され水車も小屋も全て破壊され井戸には汚物が放り込まれていた。
 動く気配は一切無く所々に皮を剥がれ逆さ吊りにされた犬、目を潰され桶に押し込まれ上から石を乗せられ圧死した猫、肛門に焼けた鉄の棒を捻り込まれ苦悶の表情を表わしたまま息絶えた馬、生きたまま内臓を引き摺り出されそれを口に無理矢理詰められた牛、およそ信じられぬ惨たらしい光景だった。
 人も例外ではなかった。両手足を砕かれ車輪に結び付けられたうえで頭に釘を打ち込まれた男、片手の親指だけで吊るされ寸刻みにされ吊るされた片手の手首以外は残骸となり地に転がっている娘、車裂きにされたらしく両手足と胴、首がバラバラに引き千切られている若者、腰斬されたうえに脳を取り出された老人、村のあちこちにそういった無惨な屍が転がっている。子供は屍すらなかった。
 皆耐え切れず胃の中のものを吐き出す。イシュトーは何とか我を保っていたが冷静な彼も目を見開き顔を蒼白にさせていた。
 「これは・・・・・・帝国軍がやったものではない」
 呆然としながらもかろうじて我を保ちながら彼は言った。
 「もっと違う、生ある者を殺してその苦しみ悶える姿を楽しむ・・・・・・そういった輩の仕業だ」
 「では一体・・・・・・」
 部下の一人が腹の中のものを吐き尽くし胃液すら出しながら問うた。 
 「解からん。いや、一つだけ心当たりがある。だがあの者達は・・・・・・・・・」
 その時だった。前の十字路の右側から四人の男達が出て来た。
 例のドス黒い服を着込み剣と弓を持った者が三人、そして暗灰色の法衣を着た禍々しい眼つきをした男が一人である。
 「隠れていたかもしれぬ子供を探しておったが・・・・・・」
 法衣を着た男が血生臭い笑みを浮かべながら言った。
 「まだ楽しみが残っておったわ」
 弓を持っている男が矢をつがえた。剣を持つ二人の男がイシュトーへ突進してきた。
 「トローン!」
 右手から雷光を放った。左にいる男の腹を撃ち抜いた。
 二撃目を連続して放つ。右の男が至近で胸を吹き飛ばされ四散する。
 左手の拳を地面に撃ち付けた。赤い地走りが走り今矢を放とうとしていた男の足下で爆発が生じ男は炎に包まれた。
 「後は御前だけだな」
 禍々しい眼の男と正対しイシュトーは言った。
 「くっ・・・・・・」
 「この村での惨劇は貴様等の仕業だな?」
 「・・・・・・・・・」
 口を開かない。だがそれは肯定の沈黙だった。
 「他にもまだ仲間が大勢いるな。言え、御前達は一体何者だ?そして何の目的でこのような事をする?」
 「ううう・・・・・・」
 イシュトーはジリッと前に出た。
 「答えられぬか?ならば無理にでも答えてもらおう」
 その時だった。不意に男が右手を挙げた。
 「死ねえ!」
 「むうっ!」
 男の身体の周りで黒い渦が数個生じた。それはすぐに球状となり一斉にイシュトーに襲い掛かった。
 「甘いっ!」
 イシュトーは剣を抜きながら斜め前へ跳んだ。黒い球体は生物の様な動きでイシュトーに襲い掛かったが彼はそれを全てかわした。球体に一瞬顔の様なものが見えた。
 「させんっ!」
 剣にボルガノンを宿らせ横に払った。男の首は地に落ち胴体共々炎に包まれた。
 「大丈夫ですか、殿下」
 心配した部下達が駆け寄って来た。
 「大丈夫だ、怪我は無い。・・・・・・しかし今の魔法、見ただろう」
 「はい、あの異様な魔法、今まで見た事がありませぬ」
 「面妖な・・・・・・。だがこのミレトスで恐ろしい事が怒っているのは間違いない。暫くこの村を探索するぞ」
 「はっ」
 村は破壊され殺戮が行なわれていたが掠奪等が行なわれた形跡は無い。生存者は誰もいなかった。またどういう訳か子供の屍は一切無かった。一行は首を傾げながらも何の手懸かりも無く探索を打ち切りイシュトーの母ヒルダが城主を務めるクロノス城へ向かった。
 移動は一目の無い森を通った。深い森の中に木の枝が人の手の様に曲がりそこに蔦が絡み深く暗い足下には丈の低い植物が繁り妖精や魔物、小人といった人であらざる者達の囁きが聞こえてきそうであった。
 「深い森だな」
 そう呟いた時不意に自分を呼ぶ声がした。
 「誰か呼んだか?」
 部下達は皆首を振った。気のせいか、と思い再び暗い緑の中へ足を踏み出す。
 “王子”
 また聞こえたような気がした。
 「?」
 気になったが小鳥の囁きだろうと考えまた歩きだす。
 “イシュトー王子”
 今度は気のせいではなかった。はっきりと耳に聞こえてきた。
 「誰だ?私を呼ぶのは」
 問いかけた時また声がした。
 “私です”
 「私?妖精か小人か。私をからかいにでも来たのか」
 “いえ、貴方に用があってここに来ました”
 「私に?」
 “はい”
 やがてイシュトー達の目の前に人の形をした淡く白い光が浮き出てきた。
 光はすぐに実体と化してきた。それは一人の少女の形となった。
 紫の波がかった膝まである髪に緑の大きな瞳を持つ可憐な少女であった。身体は華奢で陽性の様に小さい。薄灰色の法衣の下にもう一枚黄色の服を着不思議な文字が書かれた帯を締めている。
 「・・・・・・・・・」
 見たところ人間のようだ。だが柔らかく掴み所の無い気を発している。何処か浮世離れした印象がある。
 「初めまして、サラと申します」
 少女は名を名乗った。どうやら左手に持つ杖以外は何も持っていないらしい。
 イシュトーは彼女を警戒していた。先程の得体の知れぬ者達の仲間ではないか、そう考えていた。
 「安心して下さい。貴方が考えておられるような者ではありません」
 「何!?」
 サラはクスリ、と子供のような表情で笑った。
 「陥れるつもりも攻撃するつもりもありません。ですから手の中の短剣はしまって下さいね」
 「・・・・・・・・・」
 イシュトーは言われるまま手に隠し持っていた短剣を懐中に収めた。
 「どうやら人の心が読めるようだな。ならば私が知りたい事もわかるだろう?」
 「はい。お役に立てるかと思います」
 サラは言った。
 「では私達はこれからどうすればいい?」
 完全に気を許したわけではないがこの少女を信じてみようという気になっていた。第一心が読まれているのだから何をしても意味が無いとも感じていた。
 「私についてきて下さい。クロノス城でお見せしたいものがあります」
 サラはそう言うと左手に持つ杖を掲げた。ワープの術の淡い緑の光がサラとイシュトー達を包んだ。
 着いたところはクロノス城の内だった。何やら薄暗く巨大な部屋だった。
 「ここは・・・・・・?」
 イシュトー達は周りを見回した。何かしらの像や祭壇が設けられている。どうやら礼拝堂らしい。
 「礼拝堂か?それにしては・・・・・・」
 雰囲気が禍々しい、そう感じた。それにどうやら十二聖戦士を祭ったものでもユグドラルの神々を祭ったものでもないらしい。
 「何の神を祭っているのだ?どうやら聖戦士どもヴァルハラの神々でもないようだが」
 「あれを見て頂ければお解りになります」
 「む!?」 
 サラは目の前の巨大な青銅の像を指差した。それを見たイシュトー達は愕然となった。
 「そ、そんな馬鹿な・・・・・・」
 部下の一人が声を震わせている。
 「そんな訳がない・・・・・・」
 「暗黒竜ロプトゥス・・・・・・。滅んだ筈・・・・・・」
 闇の黒い鱗と白く長い爪に牙、赤い眼を持つ暗黒竜とそれを崇め奉る者達、その恐ろしさは大陸の誰もが物心ついた頃から聞かされていた。親が幼な子を叱る時にはいつも彼等の名が出る程である。長くに渡り虐政を敷きユグドラルを暗黒の闇の中に陥れたその存在を人々は忘れてはいなかった。だが彼等は先の聖戦で滅亡した筈だった。
 「そうか、生き残っていたか。信じられぬが」
 イシュトーは今にも動き出しそうな像を見上げながら呻く様に言った。
 「ではペルルーク城の得体の知れぬ連中も村で私が倒した奇妙な魔法を使う者達も・・・・・・」
 彼の言葉に対しサラは黙って頷いた。
 「しかし何故だ!?生き残っていたとしても最早世には出られぬ者達、それがなぜこのミレトスを支配しているのだ!?」
 「それは・・・・・・」
 サラが言おうとしたその時礼拝堂に誰か入って来る気配がした。
 「むっ!?」
 「隠れましょう」
 イシュトー達は暗黒竜の像の裏に隠れた。そっと覗いてみると老人と女が入ってきた。
 老人は血が混ざったような赤紫の法衣とそれと同じ色のマントを羽織っていた。皺だらけの顔に異様な黒い眼は邪気に満ちている。どうやら邪眼と呼ばれるものらしい。それも左眼だけだ。右眼は無い。眼窟があるだけだった。しかもその左の瞳は二つある。異様な眼であった。
 (・・・・・・・・・)
 サラはその老人を見て眉を顰めた。イシュトーはその老人を見たことがあった。確かユリウスの側にいた者だ。素性の知れぬ怪しげな人物だった。
 (名は確かマンフロイ・・・・・・。ユリウス殿下の側近の一人だったな)
 もう一人は背の高い中年の女だった。黒く長い髪と黒い瞳を持っている。歳を感じさせるが整った顔立ちをしている。唇と長く伸ばした爪は紅く塗られている。鮮血の様な色のドレスを着、その上から黒い上着を着ている。
 (母上・・・・・・!)
 彼女こそレンスターのブルーム王の妃にしてイシュトーとイシュタルの母ヒルダであった。先代ヴェルトマー公の妹の子として生まれ強力な魔力を持っていた。同時にその残虐さも知られていた。
 少し手違いをした女中を裸にし鞭打ったり焼印を胸に押し付けたりした。自分に吼えた犬は首から下を地に埋めそのまま餓死させた。
 王妃としてレンスターに赴いてからはレイドリック等を重用し苛酷な法と血生臭い刑罰を次々と発した。逆らう者は一族全員鋸引きとしたり獣の餌にした。自らはそれを眺め酒を飲み贅を尽くした食事に舌鼓を打ち悦に入っていた。イシュトーとイシュタルが国の統治に携わるようになるとそういった事は行われなくなったが密かに罪人を過酷なやり方で殺していた。
イシュタルがティニーを常に自らの手元に置いたのも彼女を怖れたからであった。その母が怪しげな老人と共に暗黒神の礼拝堂に入ってきたのである。何かある、イシュトーは思った。
 「例の件はどうなったのじゃ?」
 ヒルダが低いが張りのある声で言った。
 「はい、子供は全てミレトスの神殿に送りそれ以外の者や家畜共は全て始末しました」
 マンフロイが答えた。しわがれ何処か邪悪さを感じさせる声である。
 「ホホホ、そうかえ。わらわも行きたかったのう」
 「何を仰います。ラドスであれ程楽しまれたのではないですか」
 「ラドス?ああの時かえ。楽しかったのう、串刺しは。だがそなたも随分楽しんでおったではないか」
 「フォフォフォ、そうでしたかな」
 「まったく人が悪いのう。まあ良いわ、お互い様じゃからのう。それにしても思う存分人を嬲り殺す楽しみを味わえるとはな。暗黒教団とはよいものじゃ」
 「そうでございましょう。ですが暗黒神様が降臨なさればより素晴らしい宴が毎日開かれますぞ」
 「ホホホホホ、嬉しいのう。そち達には感謝しているぞ」
 「有り難き御言葉。では礼拝の後ヒルダ様に贈り物を献上いたしましょう」
 「ほう、何じゃ」
 「若い娘が手に入りました。如何致します?」
 ヒルダはその紅い唇を歪めて笑った。
 「そうじゃのう、針の鉄籠に入れ血を絞り取りその血の風呂に入るとするか」
 「それは素晴らしい。さぞかし気分がよろしいでしょう」
 二人は邪悪な笑い声をあげながら礼拝を終え部屋を後にした。暫くしてイシュトーとサラ達が暗黒竜の像の裏から出て来た。
 「援軍を頼むどころではないな。恐ろしい事がこの地で行なわれている」
 イシュトーが二人が去った扉を見ながら言った。その顔は蒼白になっている。
 「これからどう為されます?やはりレンスターのお父上を助けに行かれるのですか?」
 サラの言葉に暫く思案していたが意を決し顔を上げた。
 「いや、暗黒教団を跋扈させるわけにはいかない。教団と関係がある以上帝国も倒さなくてはならない。私は今からこの大陸の為帝国と戦う」
 毅然として言った。
 「それではセリス公子の下へ?」
 「それも良いが私はシレジアへ行こうと思う。かの地における反乱の指導者には魔法に長けた者はいない。私の力は必要とされる筈だ」
 サラはそれを聞くとニコリと笑った。
「それでは私もご一緒に。王子だけでは中々信じてもらえないでしょうから」
 その通りだった。彼はフリージの王族なのだから。
 「その前にメルゲンへ寄ってくれないか。私の部下が残っているんだ」
 「はい」
 サラはそれに答えた。
 一行は緑の光に包まれ礼拝堂から消えた。暫く後シレジアの反乱軍はさらに勢力を増していった。その中にイシュトーとサラの姿もあった。
 



反乱軍へと移ったイシュトー。
果たして、今後、どうなるのか。
美姫 「暗黒教団が影で動き出す中、それを察知する者も現われ始める」
歴史はゆっくりと、だが、確実に刻まれていく!
美姫 「次回、どんな歴史が紡がれるのか!?」



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