第一幕 それぞれの思惑


 ートラキア城ー
 標高数千はあるトラキア高原にトラキア王国の王都トラキア城はあった。高く連なる山々に囲まれたトラキア王国においては水があり作物も採れる数少ない人口密集地帯でありその中心に位置している。
 他の国の王都と比べると極めて質素である。外観は装飾が無くただトラキア王国の旗が掲げられ王宮の門の前に竜に乗りグングニルと高々と右手に掲げる竜騎士ダインの青銅の像が置かれているだけである。
 宮殿の中も装飾性に乏しかった。大理石や水晶、宝玉といったものは一切無く鎧や刀槍が置かれているだけであった。ガラスもステンドガラスや色ガラスではなくごく普通のガラスだった。煉瓦に赤絨毯が敷かれただけの廊下の奥に王の間があった。
 レンスターの様な豊かな国の者から見ると到底王の間とは思えぬであろう。ビロードの無いカーテンは絹ではなく木綿、ガラスも他の部屋と同じく普通のガラス、室内は何も無く玉座の後ろにグングニルをモチーフにしたトラキア王国の紋章が掲げられているだけだった。その玉座も金銀や宝玉で飾られた他国のものとは異なり黒檀の木で造られた簡素なものであった。トラバント王はその玉座に座し嫡子アリオーンから報告を受けていた。
 「何だ、また援軍の要請か」
 「はい」
 アリオーンは父の言葉に答礼した。
 「ブルームも老いたのう。あの小僧っ子に手も足も出ぬうえにコノートまで追い詰められるとはな」
 トラバント王はそう言いながら言葉とは逆の事を考えていた。ターラでの会見においてのセリスと解放軍の将達、彼等ならばブルームを破る事なぞ易い、と。
 「ですが父上、我等は帝国の同盟者、援軍を要請されて動かないとあっては後々フリージや帝国との関係に支障をきたすものかと」
 アリオーンの言葉に王は鷹揚に頷いた。
 「解かっておる。竜騎士団を含めた二万の兵をミューズに集めよ」
 「はっ」
 「兵を動かすのはわしの命を待て。目標は・・・・・・マンスターだ」
 その言葉を聞きアリオーンの表情が曇った。
 「・・・・・・父上、やはりあくまで北進を望まれるのですか」
 王の表情が険しくなる。
 「当然だ、何故諦めねばならんのだ」
 「父上・・・・・・」
 王は言葉を続けた。
 「グランベルから来た奴等やわざわざイザークからでしゃばってきた小僧っ子共に何が解かる、わし等が今まで山犬だ、飢狼だと蔑まれ罵られながらも傭兵として各地の戦に加わり戦ってきたのを。全てこの貧しく惨めな暮らしから抜け出す為ではないか!わしは絶対に諦めんぞ<今度こそは手に入れるのだ、レンスターの豊かな国土を、そして我等が悲願である統一を・・・・・・!」
 「父上・・・・・・」
 アリオーンはそれ以上言えなかった。自分達が今まで味わってきた屈辱、果たし得ぬ悲願、一瞬たりとも忘れた事は無かった。そして今目の前にいる父がどれ程民衆と国家の為に身を粉にして働き苦心してきたかを。
 「アルテナとコルータを呼べ。すぐに軍議を開くぞ」
 「はっ!」
 アリオーンは敬礼をして部屋を後にした。王はその後ろ姿を見ながら思った。
 (良い気を発している。わしの若い頃とは大違いだ)
 王の顔に暗く哀しさを含んだ影が差してきた。娘の顔が浮かんできた。
 (アリオーン、アルテナ、御前達はわしとは違う。血塗られ忌み嫌われる道を歩むのはわしだけで良いのだ)
 扉の側に架けられているグングニルを見た。刀身から白銀の光が放たれている。
 (御前もそう思うだろう。あの者達には光に照らされた道こそ相応しいのだ)
 槍は何も語らない。ただ光を放っているだけである。
 (もう暫く頼むぞ。おそらく今度の戦いが最後だ。・・・・・・そしてゲイボルグと共に我が子達を導いてくれ)
 やはり槍は何も語らない。しかし刀身から放たれる光が一瞬輝きを増したように見えた。

 ーコノート城ー
 「トゥールハンマーを渡せ、とな・・・・・・!?」
 城中の会議室にてブルーム王は思わず席を立ち声を荒らげた。
 「はい。シアルフィ軍に勝利を収めるにはトゥールハンマーが不可欠であると存じます」
 イシュタルは席に座したまま冷静に答えた。
 「敵軍には、神剣バルムンク、魔剣ミストルティンという二つの神器だけでなく一騎当千の猛者達が夜空の星々の如く集っております。彼等を前にしては私も全力をもって戦わなくてはなりません」
 「し、しかし・・・・・・」
 王は躊躇する。だがイシュタルは引かない。
 「父上、父上は私を今回の戦いの総司令官に任じられた時軍の全権を私に委ねられると仰いました。今更何を躊躇されるのですか」
 「くっ・・・・・・」
 王の顔を汗が伝う。王の顔が困惑したものから次第に憮然とした表情の無いものに変わる。
 「・・・・・・解かった。トゥールハンマーをそなたに貸そう」
 王は席に着き娘に言った。
 「有り難き幸せ」
 「だがそれだけではあるまい?他にも考えがあるのだろう」
 イシュタルの黒水晶の様な瞳が光った。
 「はい。まずシアルフィに占領されていないアルスター東部、レンスター東の森林地帯に配されている兵力を全てコノートに集結させます」
 「決戦を挑むつもりだな」
 「はい。そしてコノート、マンスターの屯田兵を全て徴用します」
 「トラキアへの備えは?」
 「我々が健在ならばトラキアも干渉して来ないでしょう。トラバント王、利に対して極めて貪欲な男であります故。その事は父上もよくご存知でしょう」
 「うむ、確かに・・・・・・」
 王もその言葉に頷いた。常にトラキアの存在を忘れた事は無かった。その為にイシュトー、イシュタルを国の東西に置き各地に砦を造り屯田制を敷いたのだ。
 王は意を決した。毅然とした顔でイシュタルを見据え令を下した。
 「よし、そなたの提案、全て認めよう。必ずや叛徒共を成敗するのだ」
 「はっ!」
 イシュタルは席を立ち敬礼した。王も席を立ち諸将もそれに倣った。
 「卿等の健闘を祈る。卿等に雷神トゥールとトード神の加護が有らん事を!」
 「はっ!」
 杯を掲げる王に対し諸将がフリージの敬礼で応えた。その日の夜イシュタルは軍服に着替え街へ出た。
 夜の街には喧騒と陽気な歌声や笑い声が充ちている。イシュタルはその中を会議室での沈着な表情とは全く異なる微笑を浮かべた優しい顔で歩いていた。
 周りは誰も彼女がイシュタルだと気付かない。長く美しい銀髪を後ろで束ね上げ黒い軍服とマント、白ズボンの彼女を皆は若い女騎士だと思っていた。
 不意に道にしゃがみ込み泣いている男の子に気付いた。イシュタルは男の子に歩み寄った。
 「坊や、どうしたの?」
 しゃがみ込み男の子ににこりと微笑んで声を掛けた。
 「え?」
 「こんな遅くにどうしたの?お父さんやお母さんが心配しているわよ」
 イシュタルは柔らかい茶色の髪を撫でながら優しく男の子に語り掛けた。
 「・・・・・・はぐれたの」
 「何処で?」 
 「あっちの・・・・・・キノコやお魚がたっぷり入った幅の広いスパゲティや大きいマカロニが出るお店で。おトイレに行こうとしたらこんなとおに来ちゃったの」
 男の子は賑やかな酒屋の連なる道の方を指差して言った。イシュタルはその道を見て頷いた。
 (キノコや海の幸のフェットチーネやペンネ・・・・・・。コノートじゃ『ランスへの旅』が有名ね)
 イシュタルは男の子を抱きかかえた。
 「心配しないで。お姉さんがお父さんとお母さんに会わせてあげるわ」
 男の子の耳元で囁いた。
 「本当?」
 「ええ、本当よ。お姉さんに任せて」
 男の子に頬を摺り寄せ言った。
 「ただ坊やの名前教えてね」
 「名前・・・・・・リカルドっていうの」
 「リカルド君ね。行くわよ」
 イシュタルはリカルドを両手に抱きかかえ目星をつけた店に行きその店の前で子供の名を叫ぶ両親を見つけ子供を引き渡した。両親は頭を深々と下げ礼を述べ謝礼に酒と料理を御馳走しようと言ったがイシュタルはそれを丁重に断り店を後にした。そして暫く道を歩いていた。
 「イシュタル様」
 後ろから呼ぶ声がした。無視してそのまま歩いていく。
 「イシュタル様」
 再び呼ぶ声がする。だがそれも無視する。
 「イシュタル様」
 三度目でようやく振り向いた。
 「人違いですよ」
 何処か悪戯っぽい笑いを浮かべながらそう言った。彼女は声の主が誰か解かっていた。そして次に来る返答も
解かっていた。
 「またそのような事を仰る」
 黒い髪を後ろに撫で付けた彫刻の様に整った白面に黒い瞳を持つ長身の青年だった。歳は解放軍のイリオスやアマルダより一、二歳上だろうか。引き締まりよく鍛えられた長身を膝までの黒い軍服とケープ、白いズボンとスカーフで包んでいる。彼こそ解放軍の将の一人オルエンの実兄にしてフリージ軍きっての名将と謳われるラインハルトである。
 世の者はフリージ雷騎士団にラインハルトあり、と言う。マージナイトとしてその見事な剣技と魔力で知られ指揮官としても今までイシュトーやイシュタルの下で活躍してきた。その人格は高潔な事で知られ権力にも蓄財にも興味が無く女性や老人に対しても紳士的で部下や民衆にも仁愛を忘れず騎士の理想とさえ称されている。気の強い世間知らずなお嬢様であるオルエンもこの兄にだけは頭が上がらず尊敬している。
 「冗談ですよ、将軍」
 子供の様な無邪気な笑顔をラインハルトに向けた。
 「全くまたお忍びで外に出られて。もしもの事があったらどう為されるのです」
 困ったような顔をしてイシュタルの側に彼女を護る様に寄った。
 「何処にシアルフィやトラキアの刺客が潜んでいるか・・・・・・。もう少しご自重下さい」
 「あらっ、心配してくれるのですか?」
 クスッと猫の様な笑みで言った。
 「当然です。電化は今や軍の総司令官ですよ。若しもの事があれば・・・・・・」
 イシュタルはその言葉に少しツン、とした。
 「あら、司令官としての私を護りにいらしたのですか?」
 「当然です」
 「・・・・・・まあいいです」
 思った様な面白い返事ではなく興醒めした。イシュタルはそのままラインハルトに護られ裏口から宮殿に入った。
 部屋に帰りゆったりとした青く丈の長い部屋着に着替えバルコニーで月を眺めながら侍女達と共に葡萄酒を飲んでいる。笛や琴を使う者もいて月の光に照らされた夜光杯と紅の酒、紫の中に輝く女達の髪と瞳、光を受け蛍の光の如く照らされる薄い青や緑の絹の服、透き通った白肌、幻想的な景色の中イシュタルは杯の中の酒を見た。
 (あの方の瞳もこんな色だったわね)
 イシュタルは杯の酒を口に含んだ。そして人房の葡萄を食べ終え侍女達と共に笛に興じた。

 ーレンスター城ー
 解放軍は準備を全て終えコノートへ向けて進軍を開始した。総勢二十万のうち三万をイザーク、メルゲン、ターラへ置き新たにアルスターに防衛の為一万を置き守将としてゼーベイアを残した。セリスは他の将達と共に十六万の兵をもってアルスターから出発しレンスターを通りコノートへ向かった。所々に置かれている砦において予想されたフリージ軍の抵抗は無く全て空城であり解放軍の進軍は迅速なものであった。
 「これ程楽に勧めるとは思わなかったね」
 セリスは馬を進めながら傍らにいるオイフェに言った。
 「はい、危惧された森林地帯の伏兵も無いですし進軍は非常に楽に進んでいます。どうやら敵は野戦で決着を着けようと考えているようです」
 「野戦か・・・・・・。おそらくフリージの必勝戦法であるテルシオとカラコールで来るね」
 「はい、前者は歩兵と弓兵、魔道師を組み合わせた方陣、後者は魔道騎士団による波状攻撃です」
 「両方共手強そうだね。しかも敵は大軍のうえ知将勇将が揃っている。苦戦は免れないだろうね」
 「ですが我々は勝たねばなりません」
 「策があるんだね」
 「勿論です」
 オイフェは口と目で微笑んだ。
 その後アルスターに進駐していたゼーベイアにアルスター北東の森林地帯の要地であるベルファスト城占領指令が出され解放軍は東進を続けた。フリージ軍は影も形もなく進軍は極めて順調であった。
 やがて昼食の時間となり全軍休息をとりだした。哨戒に当たっていたミーシャも降り休息に入ろうとしていた。その時アズベルと目が合った。
 「あっ」
 二人は急に顔を真っ赤にし顔をそらした。
 「な、何で恥ずかしがってんだろ私」
 「ど、どうしたんだろ僕」
 二人にとっては全く身に覚えが無かった。後でフィーやアーサー達から事の一部始終を聞きミーシャは顔をトマトの様に赤くし慌てふためきアズベルは頭が噴火し気絶した。
 ユリアはラナ、マナ達女性陣と共に食事を採っていた。進軍中なので流石に酒は無い。馬の桶の様な杯に水や牛乳があり牛の夕食分はあるパンと干し肉や魚、ザワークラフト、そして果物が一人ずつに配られているだけである。
 「この林檎美味しいわね」
 ラクチェが丸かじりしながらニコニコしている。
 「こっちのグレープフルーツもいいわ」
 ラドネイが剣で皮を剥き白皮を残したままかぶりつく。
 「ザワークラフトも最高」
 ミランダがキャベツの酢漬けをムシャムシャと食べている。
 「本当にレンスターって食べ物が美味しいわあ」
 タニアがよく熟れた無花果を手にしホクホクとしている。
 皆食べ物を口に入れ水や牛乳を飲んでいる。その時パティが思いついた様に言った。
 「そういえばうちって男は背が高いのが多いけれど女の子は小さいわよね」
 「えっ!?」
 一同ピタリ、と口や手を止めた。
 「ミーシャさんとかアマルダさんみたいな大人の人以外は皆五十歩百歩でしょ」
 「うっ・・・・・・」
 「アマルダさんにしてもイリオスさんと同じ位だし他の人達も大体そんなに変わらないでしょ」
 「そういえば話す時顔を上げる事が多いような」
 当のアマルダがボソッ、と言った。
 「うちの親父なんかあたしの二倍位はあるしねえ」
 タニアが腕を組み眉をしかめながら言った。
 「この前パーンさんに頭の天辺をポンポンと手の平で押されたのよ」
 ディジーがムスッとして言った。
 「レスターの奴いつもあたしをチビチビッて言うのよね。頭きちゃうわ」
 「あんたがからかうからでしょ」
 パティにラーラが突っ込みを入れた。
「大体パティって本当に小さいもん。あたし達の仲で一番小さいんじゃない?」
 「そっかなあ〜〜、自分じゃそう思わないけど」
 フィーの言葉に返した。
 「牛乳飲んでみる?」
 「駄目駄目、あんなの嘘っぱちよ」
 エダにリンダが言った。何やら過去があるようだ。
 「厚底に靴なんかはどうでしょう?」
 「う〜〜ん、ぐねると痛そう」
 リノアンの提案にリーンが首を傾げた。
 「イシュタル王女が履いてたけどね」
 カリンがその名を出した時だった。
 「イシュ・・・・・・タル・・・・・・・・・!?」
 ユリアが不意に言葉を発した。
 「?ああそうかユリアは見た事無いんだ。イシュタル王女はフリージのお姫様でリンダやティニーの従姉にあたるの。
『雷神』って呼ばれてる凄い魔力の持ち主なんだ」
 「雷・・・・・・神・・・・・・!?」
 雷神という事場にさらに反応した。糸の切れたマリオネットの様にガクン、と崩れ落ちた。
 「ど、どうしたの!?」
 皆驚いて駆け寄る。
 明らかに様子がおかしかった。髪はかき乱れ全身が汗だくになりガタガタと震えハァハァと苦しげな息をしている。
 「だ、大丈夫!?」
 蒼白になりユリアを気遣う。ユリアは苦しげに言葉を発した。
 「セ、セ・・・・・・リ・・・・・・ス・・・・・・さ・・・・・・ま・・・・・・・・・」 
 「セリス様!?」
 「私を・・・・・・セリス・・・・・・様・・・・・・の・・・・・・所・・・・・・へ・・・・・・・・・」
 
 その頃セリスは解放軍の男性陣と共に食事を摂っていた。何やら談笑しているようだ。
 「それで最後その娘は疑いが解けて晴れて許婚と結ばれるんだね?」
 「はい、娘は浮気なぞしておらず夢遊病で彷徨っていたのです」
 セリスはヨハンの話を興味深く聞いていた。
 「夢遊病か、聞いたことはあるけど実際には見た事無いなあ」
 「私はありますよ」
 「本当?」
 スルーフがセリスに言った。
 「以前アグストリアにいた時マッキリーのある街で見たのですがどうやら心配事があるとそういった病気になるようです」
 「つまり心の病か・・・・・・。結構治るのに時間がかかりそうだね」
 「そうですね。ですが心配事が無くなれば自然と治ります。私の時もそうでした」
 「心配事、か」
 その時だった。女性陣が苦しんでいるユリアを担いでセリスの前に現われたのだ。
 {!?」
 ユリアはラクチェとパティに担がれセリスの前に出て来た。身体は汗で濡れ乱れた薄紫の髪が纏わりつきガクガクと
震えている。肩でハァハァと息をし今にも倒れそうな程だ。
 「ユ、ユリア・・・・・・」
 慌てて声をかける。その時だった。
 「セリス・・・・・・」
 ユリアが声を発した。
 「え!?」
 一同耳を疑った。何故ならそれはユリアの声ではなかったからだ。より包容力のある暖かい大人の女性の声だった。
 「気をつけて・・・・・・。イシュタルが来るわ・・・・・・・・・」
 ユリアは顔を上げた。
 「何っ!?」
 一同我が目を疑った。ユリアの右の瞳は変わらぬアメジストを薄めたような紫の瞳だった。しかし左の瞳は違った。
 何処までも続く澄んだ空の様な美しい青の瞳がそこにあった。その瞳はセリスの瞳と全く同じ色だった。
 「金銀妖瞳・・・・・・・・・」
 「まさか・・・・・・」
 古より強大な魔力を持つと言われる金銀妖瞳、だが今までユリアは両方共薄い紫だった筈だ。それが何故今・・・・・・。それは誰にも解からなかった。
 「イシュタルは怖ろしい者・・・・・・。強さと哀しみを背負った者・・・・・・・・・」
 「イシュタル・・・・・・」
 一同はその名を呟いた。
 「気をつけて・・・・・・。何も出来ないけれど・・・・・・。セリス、いつも貴方を見守っているから・・・・・・・・・。だから、光を、この世界を・・・・・・・・・」
 そう言い終わると糸が切れた様にガクッと崩れ落ちた。皆慌てて駆け寄る。
 「大丈夫です。命に別状はありません。単に気を失っているだけです」
 サフィが脈と息を確かめてセリスに言った。
 「そうか、良かった」
 セリスは胸を撫で下ろし自らユリアを抱き上げ天幕に運んでいった。
 諸将がそれに続く。だがオイフェとシャナンは物の怪に捉われたかのような表情で顔を見合わせていた。
 「聞いたな、あの声を」
 シャナンがまずオイフェに問うた。
 「ええ。あの声は正しくディアドラ様の・・・・・・」
 「そしてあの娘の左目は・・・・・・」
 「シグルド様の、セリス様と同じ青いシアルフィの瞳・・・・・・」
 「まあ偶然だろう。絶大な魔力を持つ者のみがなれるシャーマン、一時的に瞳の色が変わる者も精霊が憑依する者もいるだろう。特に驚く事ではない」
 「ですがあの娘から発せられる気、余りにもセリス様のものと似ています」
 「気のせいだろう」
 シャナンはそう言いながらも自分の言葉を信じていなかった。決して偶然などではない、そう確信していた。
 「しかし・・・・・・」
 シャナンは言った。 
 「セリスの下には多くの星々が集まっている。ユリアはその中でも特に優しく明るく輝いている星かもな」
 天幕からセリスや諸将に囲まれユリアが出て来た。周りにいるラナやフィー、パティ達よりさらに小柄で触れると折れそうである。ふと小石に躓きこけそうになる。それをオイフェが慌てて駆け寄りセリスより先に抱き締め皆を驚かせた。
 翌日解放軍十六万はイシュタル率いるフリージ軍二十五万がコノート西部トラキア河西岸において集結中との報告を受けた。
 「予想通りですな。敵軍は決戦を挑むつもりです」
 報告を受けオイフェはセリスに言った。
 「だがフリージ軍と遭遇するのは翌日だろう。その間に敵は陣を整えているよ」
 「解かっております。この地は敵地、兵力も大きく開いております」
 「そしてテルシオとカラコールで来る、だね」
 「はい。ですからこの場は退きます」
 「えっ!?」
 セリスは思わず我が耳を疑った。それに対しオイフェは笑ったままである。
 「御安心ください、我々が戦い易い地に誘い込むのです」
 「そうか、それが策だね」
 ようやくセリスの顔にも笑みが浮かんだ。
 すぐに解放軍は反転しレンスターへ引き返した。それはすぐにフリージ軍にも伝わった。
 罠ではないか、フリージ軍上層部の間でもそういった疑念が起こったがトラキアの動向や解放軍の影響等を考え追撃を決定しベルファストに進出したゼーベイアの軍に備えコノートに一万を残したうえで進撃を開始した。
 解放軍はレンスター城南東に達すると城に一万の兵を置きリーフを総指揮官としフィン、ナンナ等を置きそのままアルスターへ向けて南下した。フリージ軍は四万の兵をレンスターへ回しヴァンパ、フェトラ、エリウ等三姉妹を攻城戦の指揮官とした。
 「来たな」
 リーフは完全に修復された城壁の上でフィン達と共に攻め寄せて来たフリージ軍を見ていた。風にマントがたなびく。剣を抜いた。
 「皆、やるぞ!勝ってレンスターを我等が手に取り戻すんだ!」
 城内に雄叫びが轟く。レンスター城における攻防戦が今幕を開けようとしていた。
 一方解放軍の主力十五万はそのまま南下を続けレンスター〜アルスター間の中間部分で停止し陣を組みだした。その陣は異様なものだった。ファルコンナイトとドラゴンマスター等の飛兵、パラディン、フォレストナイトといった剣を用いる騎士とデュークナイト以外の弓や槍、魔法を使う騎士は馬から降りそれぞれ歩兵や弓兵、魔道師達に加わり中央部において散兵編成で配された。歩兵達は剣や斧を装備し弓兵や魔道師達と混じり比較的小単位ずつで布陣されている。方陣を得意とするフリージとは全く異なった布陣である。
 左右には剣や斧を手にする騎士団が置かれた。主立った将達は全て前線で指揮を執り中央部のすぐ後ろには僧侶達が控えている。セリスは中央とそう兵団の間に本陣を置きオイフェ、シャナン、レヴィン等がいた。
 「随分変わった陣だね」
 セリスはオイフェの提案どおりに配された自軍を観ながら傍らに控えるオイフェに言った。
 「敵の兵力を分散させてこちらの望む戦う、それは解かったよ。けれどこの陣は?」
 「これこそが私の策の詰めなのです」
 オイフェは表情を変える事無く主君に述べた。
 「これが?」
 「はい。もうすぐ御覧になれますよ、我が軍の勝利を」
 「オイフェ・・・・・・」
 セリスは仮面の様に表情を変えないオイフェに戸惑いシャナンやレヴィンも彼をいぶかしんだ。やがてフリージ軍が現われるとの報が入った。その陣は予想通りテルシオとカラコールであった。
 「これで決まりです」
 彼は笑った。
 「城は城壁を壊し、車はその動きを止める。それだけです」
 オイフェは目の前の大軍を見ながら笑っていた。まるで全てが自分の思惑通りに進んでいるかの様に。
 今将に干戈を交えんとする両軍を少しはなれた丘の上から見ている男がいた。かって帝国で司祭を務めていたサイアスである。
 「中々面白い布陣ですね」
 サイアスは解放軍の陣形を観ながら一人呟いた。
 「ですが相手は雷神イシュタル、果たしてどうなるか」
 風が吹き赤い髪がたなびく。
 「セリス皇子、貴方が新しい時代を開くに足るか、見せてもらいます」
 ここに『レンスター〜アルスターの戦い』と呼ばれる戦いの巻くが開いた。後世の歴史家達はこの戦いを指して
『歴史の転換点』と称した。それをこの時誰も知らなかった。




レンスターを取り戻す戦いが幕を開く。
美姫 「対するは、雷神イシュタル!」
わくわく。果たして、どんな戦いが。
美姫 「次回も楽しみにしてます」



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