第七幕 血の絆
解放軍がターラを解放したとの報はすぐにアルスターのブルーム王の下に入った。そしてアルスターへ向けて進軍して来ているとの報もまた入っていた。
「そうか、遂にここへ来るか」
銀の髪に黒い眼を持つ男が報告を受けていた。黒い丈の長い法衣に似た上着に同じ色のズボンを身に着けている。その顔は血色が薄く険のある顔立ちをしている。大柄だが決して筋肉質というわけではない。彼の名をブルームという。フリージ家の当主にしてレンスター王である。
前当主ブルームの長子として生まれた。若い頃より冷酷な性格で知られ父の副官として働いていた。先の戦乱の折にはアグストリアの総督として反グランベル派に対して容赦無い弾圧を加えた。トラキアがレンスターに侵入するとレンスター征伐軍総司令官に任命されトラキア軍を撤退させた。そしてそのままレンスターに入り王となった。その政治は極めて厳格かつ非情であり『恐怖王』と呼ばれている。氷の様な心の持ち主と言われる事が多い。
「はい、その数十三万を超えメルゲンからこのアルスターへ向けて進軍しております」
一人の騎士がフリージ式の敬礼をして答えた。
「十三万か。思ったより多いな」
王は報告を聞き一言そう呟いた。
「将軍達はどうしておる」
騎士に問うた。
「はっ、既に城内に入られています」
「そうか」
報告を聞き暫し考え込んだ。だがすぐに顔を上げた。
「将軍達に伝えよ。皆すぐに会議室に来るようにとな。軍議を開くぞ」
「はっ」
騎士は敬礼した。
「そしてティニーも呼ぶがいい」
「わかりました」
騎士は敬礼して退室した。
「あの娘もようやくわしの役に立つ日が来たな。フフフフフ」
窓の向こうを見ながら笑った。そこには見事な街並みと城壁、そして緑の平野が広がっている。
王は会議室に入った。そこには既に将軍達が集まっていた。
王が部屋に入ると将軍達が一斉に席を立ち敬礼する。王はそれを手で制した。
「堅苦しい挨拶は抜きだ。早速軍議を始めるぞ」
王は席に着いた。それを受けて将軍達も席に座す。
「知っていると思うがシアルフィ軍がこのアルスターへ向けて進軍して来ている。その数十三万」
王は淡々として口調で言った。
「今奴等はアルスター平原を進軍して来ている。それに対する卿等の意見を聞きたい」
それに対して一人の将軍が席を立った。
「ケンプフか。申してみよ」
「はい」
白い髪に細く黒い陰険な光をたたえた眼の男である。黒く丈の長い軍服に白のズボン、赤いマントとブーツを身に着けている。彼こそ悪名高きケンプフその人である。
代々フリージ家に仕える伯爵家の嫡男として生まれた。幼い頃から狡賢く人を欺くのが得意であった。また嫉妬深い性格であり士官学校で彼より優秀な成績を修めた者を陥れ左遷させた事もある。
フリージ家がレンスターに入ると王妃ヒルダに取り入り彼女の腹心として暗躍した。そしてフリージに反する者の他に自分の出世の邪魔になりそうな者を次々と消していった。同時に民に重税を課し搾り取るだけ搾り取りそれを己が懐に入れた。レイドリック、グスタフと並ぶフリージの悪の象徴と言える人物である。
「ここは迎え撃つべきかと存じます。相手は所詮寄せ集めの烏合の衆、我等の敵ではありません」
巧みに王の関心を買う言葉である。主君が解放軍との戦いを欲しているのを見透かした上で言っているのである。
「そうか。ではこの城に集結している全軍十六万を以って奴等を倒すとするか」
「御意。アルヴィス皇帝陛下も喜ばれる事でしょう」
「うむ。セリス公子、シャナン王子の首級を挙げれば功は思いのままだ。それではカンプフ、その征伐の軍の先陣はそなたが務めるがいい」
「御意」
その言葉を聞きケンプフは内心ほくそ笑んだ。
「そしてヴァンパ、フェトラ、エリウ」
三人の名を呼んだ。それを受けて三人の女魔道師達が立ち上がる。
三人とも同じ灰色の髪と赤い瞳を持っている。その事から彼女達が姉妹である事がわかる。だが服装が違う。
ヴァンパは赤、フェトラは青、エリウは緑の軍服とズボンを身に纏っていある。その色がそれぞれの扱う魔法の属性を表わしている。ヴァンパはファイアーマージ、フェトラはウィンドマージ、エリウはサンダーマージである。三人共フリージ軍にその名を知られた者達である。
「そなた達は第二陣として中軍を率いるがいい」
「御意」
三人は恭しく敬礼した。
「そして軍の全てを率いる司令官だが」
ブルーム王は視線を動かした。
「ティニー」
「は、はい」
名前を呼ばれた少女が立ち上がった。
長い銀の髪を左右で一つの赤く長いリボンでまとめている。黒く大きな瞳を持つ美しい少女である。小柄な身体をスリットの入った短い淡い赤の法衣で包んでいる。
「この度の戦、わしはそなたに期待しておる」
あえて甘い言葉を出した。
「私の・・・・・・」
王は席を立った。そしてティニーの方へ歩み寄って来た。
「そうじゃ。そなたの魔力とそなたに流れるわしと同じフリージの血にのう」
「フリージの・・・・・・血!?」
「うむ。そなたを帝国に弓引くシアルフィ討伐軍の総司令官に任じたい」
「えっ、私が、ですか・・・・・・!?」
叔父の顔を見上げ驚く。王は満面に笑みを浮かべている。だがそれは仮面の笑みであった。
「そうじゃ。フリージ家のしきたり、知らぬわけではあるまい」
「はい・・・・・・」
知らぬ筈が無かった。フリージ家は出陣の際その指揮官は必ず彼等が務め前線に立つという事を。
「そしてよもや忘れたのではあるまい?シレジアで彷徨っていたそなたの母とそなたを助け出し今まで育ててやった恩を」
「はい・・・・・・」
ティニーはその小さな両肩を叔父の両手で覆われ力無く頷いた。そしてそのまま視線を下の方へ向ける。
「では行ってくれるな。良い姪を持ちわしは幸せ者よ」
「有り難うございます」
礼を言う。だがそこに力はこもっていない。敬礼も頼りない。だが王はそれに意を介さず言葉を続けた。
「そなたに護衛をつけてやらねばな。ヒックス」
一人の騎士の名を呼んだ。
「はっ」
黒い髪と瞳の太めの眉を持つ男が立った。身体つきはがっしりとしているが顔は優しげである。灰の服の上に皮の胸当てを着け白いズボンを履いている。
「卿にティニーの護衛の役を命ずる。身命を賭してティニーを守れ」
「御意に」
ブルーム王はヒックスが敬礼をし終えるのを見届けると自らの席に戻った。そして座らず水晶の杯に酒を注ぎ込んだ。ルビーを溶かした様な葡萄酒である。
「出陣は明朝とする。そしてシアルフィの小僧共を倒し我がフリージの威光を知らしめるのだ!」
杯を高々と掲げた。水晶越しに葡萄酒が手元を紅に照らす。将軍達も手に杯を持ち口々にフリージ万歳、ブルーム王万歳、と口にする。唯一人ティニーだけ顔を俯け力無く杯を掲げている。
「それじゃあシャナン、頼むよ」
セリスはシャナンに別れを告げる。
「うむ、セリスこそレンスターでの武勲を期待しているぞ」
「有り難う」
セリスは言葉を返した。
「それではな」
「うん」
二人は両手を握り合った。セリスは青い馬に乗りシャナンに手を振り駆けて行った。オイフェと五千の精鋭騎士、そして今だセリスの首を取ると言って聞かないアレス志願してきたオルエン、それに従うフレッドも同行した。行く前にパティにからかわれ彼女はまたしても手袋を投げそうになるがフレッドとレスターに止められた。
メルゲン東に集結していたシャナンが率いる解放軍の主力部隊はアルスターへ向けて進撃を開始した。その数十三万五千に達し最早大陸にその名を知らぬ諸将と精兵から成りその士気は天を衝かんばかりであり進軍は疾風の如くであった。その中パティ、ディジー、マリータの三人の娘達が何やら話している。
「マリータ、あんたどうでぃて解放軍に入ったの?」
パティがマリータに話しかける。
「フィアナにリフィスさん達が来た時に預けられたのよ。それで向こうでリフィスさん達が解放軍に入るって言ったからあたしも入ったのよ」
「それにしても本当に奇遇よね。あたし達はフィアナまで着いたらブリギットさんと一緒に誘うつもりだったのよ」
ディジーの言葉にマリータは少しキョトンとした。
「エーヴェル養母様・・・・・・?もうフィアナにはいないわよ」
「嘘っ」
「あたしをリフィスさんに預ける時何かアグストリアの方へ行くって言ってたわ。そこでデューさん達と一緒に戦うんだって」
「ふ〜〜ん、デューさんとねえ。じゃあジャムカさんやベオウルフさんと一緒かあ・・・・・・」
「多分ね。今アグストリアでも反定刻運動が激化してるらしいからね」
「そうかあ・・・・・・。ジャムカ父様が向こうに行って五年、母様も行っちゃったんだ。寂しいなあ」
パティが両手を頭の後ろで組み感慨深そうに言ったその時マナやユリアと話していたラナがビクッとした顔をしてパティの方へ駆けて来た。
「パパパ、パティ、貴女今何て!?」
いつも大人しいラナが何時に無く驚いている。
「どうしたのよ、そんなに慌てて」
逆にパティの方が驚いている。
「今何て言ったのよ!?」
「えっ、だからジャムカ父様達がアグストリアへ行って五年かあっ、て」
「そそそそそそれで貴女のお母様って・・・・・・・・・」
「ブリギット母様の事?」
「じゃじゃあ私と貴女はいといといと・・・・・・」
「糸がどうかしたの?」
「従姉妹なの!?」
「うん、そういえば・・・・・・・・・って!?」
「私の母様と貴女の母様は双子の姉妹なのよ!」
「嘘っ!?」
これにはさしものパティも驚いた。
「本当よっ!」
二人は飛びつき合いその場を回りだした。従姉妹同士の思いも寄らぬ対面だった。この話は瞬く間に解放軍中に知れ渡った。同時にパティ、ディジーに兄がいる事も解かりとりわけパティの兄は十二神器の一つ聖弓イチイバルを継承している事も知られた。またパティが自分の従兄妹である事を知ったレスターの驚きようは大変なものであった。その時は危うく落馬しそうになり慌ててディムナやスカサハに助けられた話は後々までの語り草になった。
解放軍が和気藹々(?)と進んでいた頃フリージ軍には一つの問題が生じていた。
無数の天幕と旗が林立する中フリージ家の者だけが使う事を許されている緑地に白い二つの雷と雷神ドンナーの持つ鎚が描かれた大旗が掲げられている。その下に一際大きな天幕がある。そこから喧騒が聞こえてくる。
「今奴等を討たなくてどうするというのだ、この小娘!」
テーブルを挟んで人相の悪い男二人がテーブルを叩く。ケンプフの配下ザインとバルベデスである。二人共ドス黒い軍服に褐色のマントを羽織っている。彼等とケンプフが一方に陣取りもう一方にヴァンパ、フェトラ、エリウ等三姉妹とヒックスがいる。ティニーはテーブルの主座で戸惑いながら双方のやり取りを見守っている。
「無闇に攻撃しても被害を出すだけだ。今はメルゲンとの境で守っておれば良いのだ!」
ヴァンパが舌鋒鋭く反論する。妹達もそれに賛同した。
「フン、大方レンスターを陥した後こちらに振り向けられる援軍を期待しての事だろう。何とも悠長な事だ」
バルベデスが皮肉を込めて言う。エリウがそれに反論する。
「あ〜ら、無鉄砲な突撃をしようっていうの?蛮勇って素晴らしいわ」
「何っ!?」
フェトラも参加した。
「今我が軍は優勢にあるのよ。別に下手に攻勢を仕掛けなくてもいいじゃない」
「くっ・・・・・・」
バルベデスは沈黙した。ヴァンパは更に追い込んだ。
「大体何故そこまでシアルフィ軍との戦いを望むの?メルゲンやダーナで戦利品を漁ろうってわけじゃないでしょうね?」
「ぐっ・・・・・・・・・」
二人は言葉を出せなかった。正にその通りだったからだ。
「だからどうしたというのだ?」
ケンプフが出て来た。傲然と胸を張り何ら臆するところは無いようだ。
「勝者が敗者から戦利品をもらうのは当然の権利だ。それにセリス公子は帝国に弓引く反逆者、何ら非難される謂れは無い」
「し、しかしそれは・・・・・・」
ヒックスの言葉をケンプフは遮る様に言葉を続けた。
「騎士道でも言い出すつもりか?全く無意味な事だな。そんなものが戦においてどれだけ役に立つというのだ?」
「うっ・・・・・・」
怯んだヒックスをケンプフは嘲笑する眼で見下ろした。
場には険悪な雰囲気が漂っていた。ケンプフ達と三姉妹、ヒックスは互いに睨み合い一歩も引かず嫌悪の眼で
見合っていた。
「・・・・・・・・・もう止めて」
ティニーの声だった。右手をテーブルにつき左斜め下へ顔を向けている。顔を正面へ向き直した。
「今ここで仲間割れなんかして何になるというの?私達はこれからシアルフィ軍と戦わなくてはならないのよ」
「姫様・・・・・・」
ティニーは更に言葉を続けた。
「今日の軍議はこれで終わります。将軍達はそれぞれ休んで」
「はっ」
敬礼が一斉に為される。ケンプフ達はさっさと天幕を後にし三姉妹はティニーを気遣うように視線を送りながら天幕を後にする。ヒックスは側に控えようとするがティニーはそれを制して天幕の入口に引かせた。
大きな天幕に一人だけとなったティニーは椅子にポツンと座った。両肘をテーブルに付き顎を手の甲の上に置き物思いに耽っている。
「お母様・・・・・・」
ポツリと呟く。眼は上の方をぼんやりと見ている。
「私、どうしたらいいの・・・・・・」
翌日の朝解放軍の偵察隊がフリージ軍を確認した。その軍の規模、編成等を素早く見取ると解放軍の本陣へ駆けて行った。
「そうか。そして将は?」
シャナンは本陣で偵察隊を率いていたディムナに問うた。
「緑地のフリージ王家の大旗が掲げられていました。おそらく王家の者かと」
「やはりな。誰だと思う?」
本陣にいたリンダに声を掛けた。
「イシュトー兄様にしては傷の回復が早過ぎます。それに十六万の大軍を率いるとなるればブルーム叔父様か・・・・・・」
「イシュタル王女だな」
「はい。若しそうだったならば御気をつけ下さい。イシュタル姉様は軍略も秀でておられますが何よりもその魔力が恐ろしいのです。その気になれば軍を一つ消し飛ばせる程の・・・・・・」
「だとしたら厄介だな。その時は私が相手になるとするか。それに数では劣勢だ。・・・・・・あれで行くか」
シャナンは腕を組みながら人差し指を唇に当てながら考え喋った。どうやら彼の頭の中で何やら絵が描かれている様だ。
昼の一刻程前に両軍は互いの姿を認めた。まず解放軍の騎兵隊がフリージ軍の先軍に向けて突き進んで来る。
「射て!」
弓が放たれる。身を屈めそれをやり過ごす。避け損ねた数騎が落馬する。
フリージ軍も突撃しようと剣を抜き槍を構えたその時だった。解放軍の騎兵達が一斉に向きを変え逃走しだしたのだ。
「なっ・・・・・・!?」
フリージ軍の将兵達は暫し呆然とした。今まで無敵を誇ったシアルフィ軍のあまりにも呆気無い敗北だったからだ。それを見てケンプフは他の者達と同じ様に暫し呆然としていたがすぐにそれを勝機と確信した。彼はすぐに行動に移った。
「追え!一兵たりとも逃がすな!!」
自ら馬を飛ばして追撃にかかる。先軍の将兵達もそれに続く。
続いて左軍と右軍が活気付きだした。
望遠鏡で追撃を始めたケンプフを見てザイルは欲深そうな笑いを浮かべた。そして己が軍を見やった。
「ケンプフ将軍に続け。メルゲン以西の宝は皆我等のものだ」
同じくバルベデスもケンプフを見ていた。彼は馬の尻に乱暴に鞭打つと駆けながら己が将兵達に言った。
「手柄と財宝は俺たちのものだ!」
中軍を無視して左軍、右軍共に進撃しだした。それを見た三姉妹達は驚いた。
「馬鹿な、自殺行為だ!」
ヴァンパは望遠鏡から眼を離し顔面蒼白となり絶叫する。その姉の姿を見たフェトラはすぐに伝令達を呼んだ。
「ケンプフ将軍に伝えて、今動けば敵の思う壺だと!」
すぐさま伝令が飛ぶ。しかしその様なものはお構いなしに彼等は解放軍を追撃していく。
既に中軍及び本軍と三軍との間はかなり開いていた。ヴァンパは苦い顔で舌打ちすると左にいたエリウに言った。
「ティニー様にお伝えして。われらは先軍及び左右両軍との合流に向かうと。そして本軍も合流に向かわせて欲しいと!」
「解かったわ!」
エリウが後方の本軍へ伝令を飛ばした。ヴァンパ土煙の中にある前方の友軍を見た。
「間に合ってくれれば良いが・・・・・・」
眉間には皺が刻まれ額や頬を汗が伝う。整った顔が蝋の様に白くなり紅い唇から見える歯は苦々しく噛まれている。
シャナンは退却する解放軍の部隊と追撃するフリージ軍を少し離れた高い場所から数人の将兵達と共に見ていた。腕を組み落ち着いた表情で双方を眺めている。
「どうやら連中は引っ掛かってくれた様だな」
シャナンは両軍を見つつほくそ笑む。そして傍らの兵に問うた。
「軍の配備は?」
兵士は答えた。
「全て完了致しました」
敬礼をする。それはシアルフィ式のものであった。それを見てシャナンは満足そうに頷いた。
「よし、機は熟した。フリージ軍を今ここで打ち破るぞ」
シャナンはゆっくりと右手を上げた。
「合図を」
兵士の一人が敬礼し後ろに下がった。火矢が放たれ派手な音を立て爆発する。
「何だあれは?」
追撃するフリージ軍の兵士の一人が左手に上がり爆発した火矢に目をやった。シアルフィ軍か、そう思った。前に視線を移す。あの連中はさっきから全速で追撃しているというのに一向に距離が縮まらない。それどころかこちらに合わせて距離を一定に保っている様だ。疑念が沸き起こり一瞬で極限まで膨れ上がった。その時だった。
周りから一斉に喚声が轟いた。同時に青地に白い剣の旗を掲げた解放軍が左右から現われた。そして今まで逃げるだけだった前方の解放軍が踵を返してきた。
それまでの逃走から一転して攻勢に移った自軍をシャナンは会心の笑みを浮かべて見ていた。
「イザーク伝統の釣り出し戦法、まさかこうも見事にかかるとはな」
「釣り出し戦法?」
兵士の一人がキョトンとして尋ねた。
「そうか、御前は確かレンスター出身だったな。知らないのも無理はない」
「はあ」
「釣り出し戦法とはあらかじめ兵を伏せておき兵の一部で敵を伏兵の位置まで誘き出す。そして伏兵と誘い出した兵を以って敵を叩くのだ。元々は狩りで使われていたものを戦争に応用したものだ」
「へえ、そうだったんですか」
「よし、我々も行くぞ。奴等を倒しアルスターを解放するんだ!」
「はっ!」
そしてシャナン達も戦場へ向かった。
解放軍の不意の攻撃を受けフリージ軍の先軍及び左右の両軍は総崩れとなった。無数の矢を受け倒れる者、剣に貫かれる者、炎と雷に攻められる者、緑の旗ばかりが地に落ちていく。
「うぬぅっ、田舎から出て来た烏合の衆と思っていたが小癪な手を・・・・・・」
ケンプフは忌々しげに攻勢を掛けてくる解放軍を見て呟く。
「バルベデスとザイルからの連絡はまだか!」
「はあ・・・・・・」
側の騎士が力無く答える。
「ぬうっ、この様な場所で死んでたまるか。こうなれば私だけでも・・・・・・」
部下を見棄てて逃げようとした。不意に後ろから声がした。
「閣下」
二人の男の声だった。険のあったケンプフの顔が急に明るくなった。
「おお御前達、来たか・・・・・・」
確かに二人はいた。だがその姿は首だけであった。
ザイルの首はブライトンが、バルベデスの首はグレイドがそれぞれ手に持っていた。
「くっ・・・・・・」
「そいつ等真っ先に逃げようとしたんでな。あっという間にああなっちまったよ」
怯むケンプフの前にホメロスが出て来た。
「悪いが逃げられねえぜ。あんたの部下は皆討たれちまったよ」
「うっ・・・・・・」
「まあ今までの報いだね。諦めた方がいいよ」
「糞っ・・・・・・」
「どうしてもというのなら俺に勝ってからにするんだな。もっとも俺はかなり強いがな」
「ふんっ、なめるなよ」
ケンプフは構えた。腰の剣は抜かない。魔法を使うつもりらしい。
「トローーン!」
右拳を突き出した。雷の光線が凄まじい速さで唸り声を挙げながらホメロスに襲い掛かる。
ホメロスは迫り来る雷撃を余裕の笑みを以って見ていた。構えを取った。
「トルネード!」
左手を下から上へ振り上げる。竜巻が起こり爆音と共に雷光へ突き進む。
雷光と竜巻が激突した。轟音が起こり雷と風が飛び散った。
トローンとトルネードは互いに相殺し合い消え去った。白い土煙が霧消した時ケンプフの視界にホメロスの姿は無かった。
「むう!?」
次の瞬間気配を感じた。それは真後ろだった。
「冥土に行きな」
両手の平を付け至近で大炎を放った。炎が炸裂したホメロスは後ろへ後転しつつ着地した。
馬上には下半身と手綱を握る左手首だけあった。上半身は完全に吹き飛んでいた。
「トルネードか。初めて使ったが凄え威力だな。これは使えるぜ」
ケンプフ等が討ち取られ先軍と左右両軍が崩壊したフリージ軍の劣勢は誰が見ても明らかであった。一斉に現われた解放軍は魔法と弓、騎兵と歩兵、そして飛兵を組み合わせた激しい波状攻撃をかけ数に優るフリージ軍を圧倒していた。その中に解放軍の若き将達がおり大旗の下にはシャナンがいた。
「休まず攻撃をかけよ!勝利の女神は我等に微笑んでいるぞ!」
そう言うやバルムンクを手に敵軍へ斬り込む。皆それに続く。
リンダがトローンを放つ。一撃で数人の兵士が吹き飛ばされる。ケンプフのそれとはまるで威力が違う。
パティは敵兵の中を小さい身体で素早く動き回り多少小振りの銀の剣を振るう。一人の兵士が喉を突き刺され倒れ別の兵士が大斧を横に薙ぎ払うと跳躍でそれをかわし兵士の頭上を飛び越え振り向きざまにその後頭部を斬りつける。見掛けによらず中々力もある様だ。
「パティも腕を上げたじゃない」
パティの活躍を横目で見つつマリータは敵兵の盾を叩き飛ばした。そして一瞬で無数の剣撃を叩き込んだ。
「流星剣・・・・・・。使いこなしてきたじゃない」
パティが声を返す。
三姉妹は必死に戦局を立て直そうと自ら陣頭に立ち魔法を放ち指揮を執っていた。だが全軍を投入しても戦局は刻一刻とフリージ軍に不利になっていくばかりであり損害は増えていった。
「戦局は危うい様ですね」
ヒックスを伴いティニーが三姉妹の所へ現われた。その眼は迫り来る解放軍を見据えている。
「はっ、申し訳ありません。戦局は我が軍にとって不利、最早挽回は困難かと・・・・・・」
ヴァンパが敬礼をしつつ報告する。
「退却、ですね」
「はっ、殿軍は我等が務めます」
ヴァンパの言葉にティニーは首を横に振った。
「その必要はありません」
「えっ!?」
「殿軍は私が務めます」
ティニーは毅然とした態度で言った。
「し、しかし姫様・・・・・・」
「撤退する軍に最後まで残り戦うのは魔法騎士トードからのフリージ家の慣わし。私もフリージ家の者、逃げるわけにはいきません」
「姫様・・・・・・」
普段の所在無さげで頼りなげだったティニーの凛とした態度と強い口調は三姉妹にもヒックスにも思いもよらない事であった。しかし流石に歴戦の将達である。すぐに顔が元の冷静なものになり顔を見合わせ頷き合った。
「解かりました。御武運をお祈りします」
三人は敬礼した。ティニーも敬礼で返す。それぞれ退却する軍の指揮を執る為戦場を後にする。
「貴方は退却しないの?」
ティニーは傍らに残るヒックスに言った。彼は心配そうな表情の指揮官に微笑んだ。
「私の任務は姫様を御護りする事です。最後までお側にいますよ」
「有り難う・・・・・・」
普段の様に頼りなげな感じに戻ったティニーを励ました。
「司令官は弱気になってはいけません。シアルフィ軍を押し止め次の戦いでは反撃に移りメルゲンを奪回しましょう」
「はい」
フリージ軍は次々と戦場から離脱していく。解放軍は兵力で劣っている事もあり無理に追う事はせずフリージ軍は比較的順調に退却していた。
その時アーサーはアミッド、リンダ等同じフリージの者達と共に前線にいた。目の前のフリージ軍は殆ど撤退しておりフリージの大旗と僅かばかりの将兵が残っているだけだった。その将兵の姿まで視認出来る距離である。
「あれ、イシュタル姉様でもブルーム叔父様でもないわ」
リンダは大旗の下にいる将を見て言った。
「じゃあ誰だ?」
アミッドの言葉にリンダはその将をよく確かめながら言った。
「う〜〜ん、ティニーね。まさかあの気の弱い娘が司令官なんて。まあ叔父様が無理矢理行かせたんだろうけど」
「ティニー!?」
その名を聞いたアーサーの顔が変わった。
「リンダ、あの娘が本当にティニーなのか?」
目の前の大旗の下の少女を指差した。
「ええ。間違い無いわ」
アーサーの顔が笑った。
「そうか、やっと・・・・・・」
そう言うや否や駆け出した。
「あっ、おい一人で突っ込むな!」
「危ないわよ!」
アミッドとリンダがそれを追いかけて行く。アーサーはそれに構わずどんどん足を進めていく。
「どうやらほぼ全員戦場から離脱する事が出来たようですな」
ヒックスは撤退する最後の部隊を見ながらティニーに言った。
「ええ。じゃあ私達も・・・・・・」
撤退しようとしたその時解放軍から一人の若者が駆けて来た。
「むっ!?」
ヒックスが大斧を片手にティニーの前に出る。だがティニーはそれを両手でヒックスの右手を押さえ制した。
「待って」
「で、ですが・・・・・・」
「あれを見て」
ティニーは若者を追う様に駆けて来る二人の若者を指差した。
「アミッド様に、リンダ様・・・・・・」
「あの二人が来てるという事は少なくとも私の命を狙っているのではないわ。安心して」
「はあ・・・・・・」
ティニーは若者を見た。自分と同じ銀髪に黒い瞳、青と白の服にマント、中世的な顔立ち、何処か自分と同じものを感じた。
(母様・・・・・・)
右手で首に架けてあるペンダントを握った。死ぬ間近の母から貰った形見である。
(もしもの時は・・・・・・・・・)
若者が手と手が届くまでの距離にまで近付いた。その足が止まった。
「・・・・・・君が、ティニー!?」
「はい、そうですけど。・・・・・・貴方は?」
アーサーはティニーの胸に架けてあるペンダントを見た。そして己が首に架けているペンダントを見比べた。同じものだった。
「間違い無い・・・・・・。ティニー、迎えに来たよ」
「えっ・・・・・・」
「俺はアーサー。アゼルとティルテュの子、君の兄だ」
「嘘っ・・・・・・・・・」
ティニーは戸惑った。無理も無い。いきなり敵軍の者が目の前に現われ自分の兄と名乗り出たのだから。
「アミッド兄様、リンダ・・・・・・」
ティニーは幼い頃より知っている従兄妹達へ視線を向ける。二人は黙って頷く。
「君が首に架けているペンダントと俺のペンダントを見てくれ。同じものだろう」
「あ・・・・・・・・・」
その通りだった。ティニーは思い出した。母がこのペンダントを自分に渡した時このペンダントと全く同じ物を持つ人がいると言った事を。そしてそれが自分の兄だという事を。
「もう一つ見せたい物がある」
右手を脱いだ。炎の形をしたアザと雷の形をしたアザがある。
「きみの右手にもある筈だ」
ティニーはこくん、と頷いた。その通りだったからだ。
「このアザこそは俺達がフリージとヴェルトマーの血を引く証、そして兄妹である事の証なんだ」
「あっ、あっ・・・・・・」
幼い頃母より聞かされていた記憶が次々と甦る。兄の話、父の話、そして共に戦ってきた仲間達の話・・・・・・。いつも寂しげで哀しい瞳をしていた母がその話をする時だけは明るくなった。今までどの話も半信半疑であった。その話を母が自分にすると叔父は母をたしなめ叔母はいびった。二人はあの話は作り話だと言った。それでも母は自分にその話をし続けた。死ぬ時でもその話をした。まさかそれが本当だったとは。
「母様がいつも私に話してくれた兄様・・・・・・。まさか本当だったなんて・・・・・・」
「やっと、やっと会えたんだな・・・・・・」
ティニーは兄の腕の中で泣いた。止めようと思っても止まらなかった。
「俺と一緒に来ないか。皆御前が来るのを待っている」
「はい・・・・・・」
アミッドは二人を横目にヒックスに言った。
「御前はどうするんだ?またアルスターへ戻り叔父貴に仕えるのか?」
ヒックスはフッと笑った。
「まさか。私はレンスターの人間ですよ。それにシアルフィの心を今見たと思っております」
「そうか」
「はい。及ばずながら私も解放軍の末席にお加え下さい。そして共に戦わせて頂きたく存じます」
二人は快くシャナンに迎えられ解放軍に加わった。ティニーはその儚げな外見と穏やかな性格からたちまち男女を問わず解放軍の人気の的となりヒックスもアマルダ等かっての同僚達をはじめ解放軍の面々とすぐに打ち解けた。
後にアルスター会戦と呼ばれる戦いは終わった。参加兵力は解放軍十三万五千、フリージ軍十六万、損害はフリージの死傷者が三万五千を越えたのに大して解放軍は三千程だった。またフリージは数千の捕虜を出しその全てが解放軍に組み込まれたのに対し解放軍の捕虜は皆無だった。またティニー、ヒックスの両名が解放軍に入りその陣容に一層厚みが加わった。そしてその勢いのまま再びアルスターへ進軍をはじめた。
ティニーが参戦。
美姫 「確実に戦力を拡大して行くセリスたち」
シャナンと分かれたセリスは今…。
美姫 「さあ、次よ、次〜」