『チェネレントラ』
第一幕 邸宅にて
大きいが随分古い家があった。どうやらかっては立派な邸宅であったようだが今ではその面影を残すのみである。樫の木の扉も何か古ぼけている。一見では幽霊屋敷に見えなくもない。とにかく古い家であった。
だが中には人がいた。そこでは二人の年頃の少女の声がしていた。
「ステップはこうよ」
「いえ、こう」
見れば二人の少女がステップを踏みながら話をしている。暖炉の前で身体を軽快に動かしながら話をしている。赤い髪の少女と茶色の髪の少女だ。二人共顔は中の上といったところか。悪くはないが特にいいというわけでもない。ありふれた顔といえばそうなる。
服はわりかし華やかである。それを見るとこの二人が一応身分のある家の者であることがわかる。だが今一つ気品といったものがない。二人共どちらかというとコメディアンに近い雰囲気であった。顔からではなくその仕草や言葉がそうなのであった。
「ティズベ、それは違うわ」
赤い髪の少女が茶色の髪の少女に言う。
「ステップはこうなの」
そしてステップを踏む。だが名を呼ばれた茶色の髪の少女は顔をムッとさせて赤い髪の少女に反論する。
「クロリンダ姉さん、違うのは姉さんよ」
彼女もステップを踏む。見ればそれぞれ動きが微妙に異なっている。妹の方が軽やかだが姉の方が優雅だ。年の差であろうか。
「こうなのよ」
「だから違うって」
二人はそんな話をしている。その後ろの暖炉を掃除する一人の少女がいた。灰にまみれ粗末な服を着ている。金色の髪も灰にまみれているが波がかり元は美しいのがわかる。その顔も化粧気がなく灰に汚れているがやはり整っている。とりわけ青い瞳が美しい。
「昔一人の王様がおられました」
彼女は歌を唄っていた。やや低めの声である。低いがその声自体は綺麗で軽やかであった。
「王様はお妃様を探しておられました。ご自身で探され三人の姉妹の中から一人の少女を選びました」
彼女は掃除をしながら歌を続ける。歌は軽やかに流れている。
「贅沢がお嫌いな王様は純真で清らかな娘を選ばれました。そして二人で何時までも幸せに暮らしました」
「ちょっとチェネレントラ」
二人の少女はその灰を被った少女に顔を向けた。
「その唄の他に何かないの?もう聴き飽きたわ」
「そうよ。あんたはその唄が好きみたいだけれどね。あたし達はあんまり好きじゃないのよ」
「けれど私は」
チェネレントラと呼ばれたその少女は二人の声を受けてゆっくりと顔を上げた。
「この唄が一番好きだから」
「だから唄うのね。やれやれ」
「他の唄覚えたら?何か明るいのがいいわ」
「けれど私は姉さん達と違って」
「末っ子だから、っていうのはなしよ」
クロリンダがここでこう言った。
「それとこれとは関係ないわよ、唄とは」
ティズベも続く。二人共不機嫌を露わにしていた。そして妹に対して言葉を続ける。
「大体あんたが家事をやるのも仕方ないでしょ、末っ子なんだし」
「それもお義母様の連れ子だったんだし。それでも家に置いてもらっているんだから文句言わない」
「はい」
チェネレントラは姉達にそう言われ仕方なく俯いた。
「それにあたし達が王子様と結婚できたらあんたにもいいことがあるのよ。それはわかってるでしょ」
「そうそう、あんたも王妃様の妹君、それは忘れないでね」
「はい」
やはり力なく頭を垂れる。ここで玄関の扉をノックする音が聞こえてきた。
「あら、誰かしら」
「チェネレントラ、出て」
「はい」
チェネレントラは姉達に言われて出る。見れば貧しい身なりの老人であった。
「あの」
「何でしょうか」
チェネレントラはその老人に尋ねた。別に侮蔑の目で見てなどはいなかった。
「お恵みを」
「あ、駄目よチェネレントラ」
二人の姉が後ろから言った。
「うちにはあまり余裕ないから。いいわね」
「けど」
「どうしてもっていうんならあんたの渡しなさいよ、いいわね」
「わかった?」
「ええ」
彼女は頷くとまず自分の部屋に戻った。そして一杯のコーヒーと一片のパンを持って来るとその老人に手渡した。
「少ないですがこれを」
そしてそのパンとコーヒーを手渡した。老人はそれを受け取るとチェネレントラを驚きと喜びの顔で見た。
「本当に宜しいのですか?」
「はい」
彼女は頷いて答えた。
「是非お食べ下さい」
「それでは」
彼はそのパンとコーヒーを食べ、飲みはじめた。そしてコーヒーカップを彼女に返した。
「有難うございます。おかげで助かりました」
「いえ、いいです。御礼なんて」
だがチェネレントラは微笑んでそう言った。
「困っておられる方をお助けするのは当然ですから」
「そうですか。何とお優しい」
老人は感動したような声を漏らした。しかしここでまた後ろの姉達が言った。
「チェネレントラ、私達も困っているんだけれど」
「ちょっとドレス持って来て」
「あ、はい」
それを受けて衣装部屋に向かう。扉は閉められ老人は何処かへ消えたと思われた。その時であった。
派手な行進曲が流れてきた。そしてそれは家の前で止まった。それから玄関の扉が開けられ大勢の制服を着た者達が入って来た。
「ドン=マニフィコ様のお屋敷はここでしょうか?」
先頭にいる一際大きな男が言った。
「あ、はい」
「そうですけど」
二人の姉が出て来た。そしてその大きな男に恭しく頭を垂れた。
「ようこそ、我が屋敷に」
「はい」
大男も頭を垂れた。
「この我等が王子ドン=ラミーロ様がお妃様を探しておられます」
「はい、それは御聞きしております」
「その花嫁候補を選ぶ舞踏会を王宮で開くことになりました。それで皆様を王宮へご招待することになりました」
「まあ、それは」
「何という幸せ」
いささか儀礼的な喜びの声であった。貴族社会に付き物と言えばそれまでであるが。
「皆様にはその舞踏会で歌って踊って頂きます。その中でとりわけ美しい方が王子様の花嫁、そして将来の王妃様となられるのです」
「王妃・・・・・・。何と光栄な」
「王子様が直々に選ばれるのですね」
「はい」
大男は答えた。
「こちらにも来られていますよ」
「それは本当ですか!?」
「ええ、間も無く来られます」
「それは大変」
二人はそれを受けて顔を見合わせた。それから大男に対して言った。
「少しお時間を頂けますか」
「王子様にお目通りする為の身支度をして参ります」
「どうぞ」
彼はそれを認めた。すると二人は急いで衣装部屋に駆け込んで行った。それを開かれた扉の奥から見ている男がいた。先程の老人である。
「ふむ」
彼は二人の様子を見ながら頷いていた。
「あの二人は止めておいた方がいいだろうな」
ティズベとクロリンダを見ながらそう呟いた。
「コメディアンになるならともかくな。むしろあの貧しい身なりの娘の方がいい」
先程パンとコーヒーを手渡してくれたチェネレントラに思いを巡らす。
「頭の中に鍛冶炉があって槌を打っている者達より遥かにいい。さて、これからどうなるか」
今度は大男を見る。
「彼等には仕事をしてもらおう。さて、わしは」
ここで奥に引っ込んだ。
「着替えるとしよう。そしてまた一仕事だ」
それから姿を消した。屋敷の中では騒ぎが続いていた。
「ねえチェネレントラ」
「はい」
「この帽子どうかしら」
「いいと思いますよ」
「ねえチェネレントラ」
「は、はい」
「この靴はどうかしら」
「凄くいいと思いますよ」
「ねえチェネレントラ」
「ねえチェネレントラ」
彼女達は衣装部屋の中で帽子や靴だけでなく羽飾りにネックレスも出しながらチェネレントラに問う。チェネレントラは二人の間を駆け回りながらそれに対応する。額に汗をかき必死であった。それが終わると二人の姉は胸を大きく張って衣裳部屋から出て来た。
「これでいいわ」
「完璧ね」
二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
「王子様は私のものよ」
「あら、それはどうかしら」
二人は互いを見つつ悠然と微笑んだ。だがその微笑みもやはり気品はない。何処かしら面白さと滑稽さが漂っているのである。
「ふう」
チェネレントラはその後ろにいた。疲れたのか溜息をついている。だが姉達はそんな彼女にまた命令した。
「ねえチェネレントラ、これを」
クロリンデが懐から何かを取り出してチェネレントラに手渡した。
「あちらの方に。いいわね」
見ればお金であった。半スクードある。実はお金はあったのだ。大男を指差しながらそう指示をする。
「わかりました」
チェネレントラはそれに従いお金を大男に渡しに行く。そこに髭の老人が出て来た。
「貴方は」
「この方が我々の長でございます」
大男は恭しくそうチェネレントラに言った。老人はにこりと頭を下げて微笑む。チェネレントラは彼の顔を見てはたと気付いた。
「貴方は」
「まあまあ」
彼は右目を瞑って微笑んで彼女に対して言った。口の前に右の人差し指を縦にして置く。
「ここは静かに、いいね」
「は、はい」
チェネレントラは小声さ囁く彼に対して頷いた。
「明日になればいいことがあるから」
「いいことが」
「いずれわかるよ。さて」
老人はそう言い終わると小声を止めチェネレントラに対して言った。
「有難うございます」
そしてお金を受け取った。それから一行を引き連れて屋敷を後にした。
「またおいで下さいませ」
「うむ」
二人の姉達の見送りを受けて去る。屋敷には三人だけとなった。
「明日」
屋敷の中に残ったチェネレントラは老人の言葉を思い出していた。そして何があるのだろうと考えていた。だが何があるのか全くわからなかった。彼女は首を捻った。
「何なのかしら、私には全くわからないわ」
「ふう、やっと帰られたわ」
「やれやれね」
だがその考えは中断された。二人の姉が屋敷の中に戻ってきたのだ。そして彼女達はまた言った。
「さあチェネレントラ」
二人の姉は彼女に顔を向ける。
「リボンとマントを持って来て」
「はい」
ティズベに言われて衣装部屋に向かう。
「私はクリームと髪油。とっておきのをね」
「は、はい」
リボンとマントを持って来るとすぐに化粧部屋に駆け込む。
「ダイアモンド」
「はい」
「私はサファイア」
「わかりました」
慌しく駆け回る。そして持って来た物を姉達に手渡す。大忙しであった。
「それにしても御父様は遅いわね」
「ええ」
とりあえず着飾った姉達は汗をかくチェネレントラには目もくれずそう話していた。
「このことを早くお知らせしないといけないのに」
「それは私がやるわ、姉さん」
クロリンデが言った。
「何言ってるのよ、私が言うわ」
だがティズベはそれに反対した。
「私がお姉さんなのよ。忘れないでよね」
「あら、姉さんに大仕事をやらせるなんてできないわ」
しかしクロリンデはそう言って反論した。
「妹は姉の役に立つものですから」
「何言ってるのよ、いつもぐうたらしてるくせに」
「それは姉さんの方じゃないかしら」
「言ってくれるわね、全く」
「おほほ」
そんな話をしていると扉が開いた。そして大柄で顔の細長い老人が入って来た。髪は白く目は黒い。その髪型と服装から貴族であるとわかるがどうにも品がない。細長い顔は何か馬にも似ているし目にも厳しさはなく俗っぽさとひょうきんさが漂っている。顔にもしまりがなく少し赤い。何処かの酔っ払いにも見える顔であった。
「ふうう」
彼は溜息をつきながら屋敷の中に入って来た。
「御父様」
二人の娘は彼を見ると笑顔で彼に駆け寄ってきた。だが彼はそんな娘達を不機嫌な顔で見た。
「えい、いい」
彼は手で娘達を追い払った。そしてやはり不機嫌な声で言った。
「御前達は今日限りこのドン=マニフィコの娘ではないわ」
「どうしたの?」
「また何かあったの?」
だが娘達は動じてはいなかった。づやらいつもこんなことを言っているらしい。見ればその声も顔も不機嫌なだけで怒っているというわけではなかった。憮然とはしていたが。
「全ては御前達のせいだ」
「私達の?」
「そうだ。今朝のことを覚えているか」
「今朝?何かあったっけ」
「さあ」
二人は顔を見合わせてそう言い合った。
「覚えておらんのか、あの時のことを」
「朝・・・・・・。ああ、あれね」
「あれは御父様が悪いんじゃない。用事なのに何時までも寝ているから」
「口ごたえはいい、あの時わしはいい夢を見ておった。男爵たる者に相応しい夢をな」
「ふうん」
「どんな夢なの?」
「では言おう。わしのその素晴らしい夢を」
やたらともったいぶって話す。常識で考えてそう偉そうに話すことでもないが彼は異様に胸を張って話をはじめた。男爵らしい威厳を醸し出しているつもりだがやはりその仕草も表情もユーモラスなものであった。彼はそれに気付いているのかいないのかそうした動作を繰り返していた。大袈裟な身振り手振りで話を続ける。
「光と闇の狭間にわしはいた。そしてそこで一頭の素晴らしいロバを見つけたのだ」
「ふんふん」
二人の娘はそれを興味深そうに聞いている。ふりをしているだけであった。
「そのロバに無数の翼が生え、そして飛んだのじゃ。それから鐘楼の上で玉座に座るように鎮座した。そこで鐘の音が鳴った。ところがじゃ」
ここで娘達を睨んだ。
「御前達が起こしてくれたのじゃ。それから慌てて家を出た。じゃが頭にあるのはその夢のことばかり」
「それについて知りたいのね」
「そうだ」
彼は頷いた。
「一体どういう意味なのかな。鐘はおそらく祝いだろう」
「うん」
「羽根は御前達で飛ぶのは今の生活におさらばということじゃろう。最後のロバはわしじゃ。わしは栄誉を極める身分になるのじゃ」
かなり自分に都合のいい解釈をする。だがそれによって彼は得意の絶頂に入った。
「どうじゃ、素晴らしい夢じゃろうが」
「何かこじつけばっかりに聞こえるけれど」
「ねえ」
「ええい、五月蝿いわ。とにかくじゃな」
彼は娘達が賛同してくれないのでさらに機嫌を悪くさせた。
「わしは栄華を極めるのじゃよ。多くの孫達に囲まれてのう」
「ふうん」
「じゃあお祖父ちゃんになるのね」
「何を言う、わしはまだ若い」
ムッとした顔でそう返す。
「しかしそれもこれも全ては御前達次第じゃ」
「ええ」
「わかってるわ」
二人は真剣な顔になってそれに応えた。
「安心して御父様」
「きっと私がお妃様に」
「何言ってるのよ、それは私よ」
「私よ」
「まあよい」
マニフィコはそんな娘達を宥めた。それから言った。
「それで王子は来られるのか」
「先程使者の御一行が来られたけれど」
「ふむ、ではもうすぐじゃな。わしは運がいい」
彼はそう言ってにやけた顔になった。
「王子様にお目通りが適うのだからな。それだけではなく」
「私がお妃に」
「私が」
ここでも二人はいがみ合う。姉妹であるが妙に滑稽な光景ではあった。権勢の前には血の?がりなど無意味ということなのであろう。
「あの王子様がわしの娘をお妃に迎えられる。夢が現実となるのだ。チェネレントラ」
「はい」
彼はここでチェネレントラを呼んだ。
「コーヒーを。とびきりのをな」
「わかりました」
コーヒーを奮発した。暫くしてチェネレントラがコーヒーを一杯持って来た。
「どうぞ」
「御苦労」
それを悠然としたような動作で受け取る。そして一口飲む。
「ふむ」
あえて大人の風格ぶった仕草をする。それから二人の娘達に顔を向けた。コーヒーのカップと皿は持ったままである。
「我が愛する娘達よ」
「はい」
「この屋敷は見ての通り半分壊れておる。後の半分も壊れかけておる」
「はい」
「それを救い、つっかえ棒になるのが御前達の役割だ。それはわかっておろうな」
「無論でございます」
あまりそうは見えないとはいえ彼女達もまた貴族の娘である。家がどれだけ重要であるかはわかっていた。家柄なくしては貴族ではないのである。
「そなた達はその頭を使わなければならない」
「はい」
「わかるな。服装や話し方に心を配れ、そして王子の心をその手の中に収めるのだ」
「わかっております」
二人の娘はにこりと微笑んでみせた。
「この笑顔で」
「よしよし」
マニフィコはその笑顔を見て安心したように笑った。
「頼むぞ、ははは。チェネレントラ」
「はい」
「これをなおしておいてくれ。ではな」
三人は話を終えるとそれぞれの部屋に戻った。後にはコーヒーを片付けるチェネレントラだけが残った。彼女は台所にそのカップと皿を持って行こうとした。その時であった。
「御免下さい」
扉を叩く音がした。彼女は台所に駆け込みカップと皿を置くとすぐに戻った。そして扉を開けた。するとそこには先程の一行の制服を着た若い男がいた。
見れば従者の服を着ているがとても只の従者とは思えなかった。黒い髪は見事に整えられ黒い瞳を持つその顔は優雅に微笑んでいた。口も赤く顔立ちも軽やかなものであった。そしてその立ち姿も優雅でありまるで貴族、いや王族の貴公子のようであった。
「貴方は」
「私ですか」
その若い従者はチェネレントラに問うた。
「はい」
「私は従者です。実はこの屋敷に用がありまして」
「用件・・・・・・何でしょうか」
「この家にマニフィコ男爵のご令嬢がおられますね」
「はい、そうですけれど」
「どなたでしょうか」
「三人おりますが・・・・・・」
「おや」
従者はそれを聞いて不思議そうな顔をした。
「二人ではなかったのですか」
「それは建前のことで。男爵家ながら貧しく」
「娘は二人までしか育てられないと」
「そうなのです。上の二人の姉はいいのですが末っ子の私が」
チェネレントラはそう言って悲しい顔をした。
「この通りの姿なのです」
「何と」
従者はそれを聞いて思わず嘆息した。
「事情があるにしろそれはあまりではないですか」
「仕方ないのです」
彼女は悲しい顔のままそう答えた。
「私は男爵の本当の娘ではないのですから」
「本当の娘ではないとは」
「はい」
彼女は従者に対して話をはじめた。
「私の母は寡婦でした。そして男爵と再婚したのです」
「ほう」
「上の二人の姉は男爵の連れ子でした。つまり私は継子なのです」
「だからですか。そんな服を着せられているのは」
「服だけではありません。私は家事の一切をやっております」
「それはまた」
「うちは貧しいから。仕方がないのです」
彼女はここで微笑んでみせた。
「こんな話をしても仕方ないですけれどね」
「いえ」
従者はそれを否定した。
「そんなことはありませんよ」
彼は優しい声でチェネレントラに対してそう言って慰めた。
「貴女がお優しい方であるというのはわかります」
「どうしてですか?」
「その瞳です」
従者はチェネレントラの瞳を見て語った。
「瞳が」
「そうです。私は師に言われました。人を見るにはその瞳を見よ、と」
「はい」
「貴女のその瞳はとても綺麗で澄んでいる。心根の汚い者はそんな瞳は持ってはいない」
「そうでしょうか」
「私はそうだと思います。ですから私は」
「私は」
続きを語ろうとした。だがここでそれぞれの部屋から二人の姉達が出て来た。
「ねえチェネレントラ」
「ん!?」
従者はそれを見て顔を上げた。そして二つの部屋をそれぞれ見た。
「ちょっと来て」
「こっちも」
「はい」
チェネレントラはそれに従い部屋に向かった。一つが終わればもう一つに。まるで小間使いのようであった。
「ふむ」
従者はそれを見ながら考えていた。その目はチェネレントラから離れることはない。
「あの瞳からは唯ならないものを感じる。何という美しい瞳か。そしてその姿も」
粗末な服を着て汚れてはいるが彼にはしかと見えていた。彼女の美しさが。だからこそ彼女から目を離さないのであった。
「素晴らしい、何と素晴らしい娘なのだ。是非私の妻にしたい。しかし」
彼はここで屋敷の中を見回した。
「マニフィコ男爵は何処だ。確かいる筈だが」
「従者殿が来られたようだな」
「はい」
ここでマニフィコの部屋の奥から声がした。そしてチェネレントラに案内され彼が姿を現わした。二人の姉達はその後ろについた。
「やあ、これはどうも」
恭しく従者に頭を垂れる。従者はそれに挨拶を返す。
「して殿下は」
「もうすぐお着きになられます」
従者はそう答えた。
「左様ですか。それでは」
マニフィコはそれを受けて娘達に顔を向けた。
「その間に準備を整えておくように」
「畏まりましたわ、御父様」
彼女達はそれを受けて恭しく挨拶をする。
「それでは」
そしてその場を後にする。マニフィコはそれを見送ってから従者に顔を戻した。
「困った奴等でして。何しろ鏡の前に行くとそこから戻って来なくなるのです」
「はあ」
「しかしすぐに戻りますのでご安心下さいませ。宜しいですかな」
「勿論です」
従者はそう答えた。顔では大人しく頷いているだけであったが実際は色々と考えていた。
(何か変わった男だな。威厳あるつもりだが滑稽にしか見えない)
マニフィコを見ながらそう考えていた。
(娘達もだ。貴族というよりは喜劇役者のようだが。だがあの娘は違う)
ここで彼の後ろにいるチェネレントラに顔を向けた。
(我が師アリドーロが教えてくれた心優しき娘。あの娘に違いない)
彼にはわかっていた。そしてまたマニフィコに何か言おうとする。だがここで扉の方から大勢の人々が入って来た。
「殿下が来られました!」
「えっ」
「早くしろ、早く!」
マニフィコは娘達を急がせる。彼女達はそれに従い部屋から飛び出て来た。そして下に降りて来る。チェネレントラは台所の方に身を隠した。そこからそっと見ている。
先頭にいるのは先程の大男であた。彼は一行の先頭に立ち屋敷の中に入って来た。そしてその中で一際見事な服に身を包んだ青年が出て来た。大柄で人なつっこい顔をしている。髪と目は黒く、とりわけ目は大きい。まるで皿のようである。
「殿下であらせられます」
従者はその大柄な青年の前に来てそう言った。
「これは」
マニフィコト娘達は頭を垂れる。
「御会いできて光栄であります」
「うむ」
王子はそれを受けて満足そうに頷いた。
「顔をあげて」
「はい」
マニフィコ達はそれを受けて顔を上げる。そして王子の顔を見た。王子は三人が顔を上げたのを受けて言った。
「今日私がここに来た理由はわかっているね」
「勿論でございます」
三人はそれに応える。
「じゃあ話は早い。私のお妃だが」
「はい」
「美しく、そして聡明でなければならない。それでいて心優しく気品があり高貴で。その様な女性を探しているんだよ」
「それでしたら」
ティズベとクロリンデが前に出ようとする。だがマニフィコがそれを止めた。
「待て」
そして娘達に小声で囁く。
「どうしてですの」
「慌てるな。焦っては駄目だ」
彼は娘達に対して囁く。
「慎み深そうに見せるのだ。よいな」
「ええ、わかったわ」
二人は父の言葉を理解して頷いた。それから三人は何やら相談をしている。それは王子も同じであった。
「殿下」
何故か王子が従者の耳元で囁いていた。
「これで宜しいですね」
「ああ」
従者はそれを聞きながら頷く。
「ダンディーニ、中々いいぞ」
「有難うございます」
彼はそれを受けて微笑んだ。
「どうやら彼等はラミーロ様のお顔を知ってはいないようですね」
「まあ普通はそうだろうな」
彼はそれを受けて頷いた。
「普通は儀式やら応接やらで宮殿から出られないからな。ここに来るのもはじめてだしな」
「そういえばそうでしたね」
「うむ。しかし市井というのもいいものだな」
「そうでしょう」
王子、いや仮の王子であるダンディーニはそれを受けて微笑んだ。
「庶民の暮らしをお知りになるのもいいことですよ。アリドーロ様もそう申し上げておられましたが」
「どうやらそうみたいだな。ではな」
「はい」
従者、いや実は本当の王子であるラミーロはダンディーニから離れた。そして丁度相談を終えたマニフィコ達に顔を向けた。どうやら彼等はあえて王子の替え玉を立てて何かと見ているらしい。
「ドン=マニフィコ男爵だったか」
「はい」
マニフィコは名を呼ばれてそれに応えた。
「そこにいるのが卿の娘達だな」
「左様でございます」
「ふむ」
ダンディーニはそれを受けて頷いた。そしてティズベとクロリンデを見る。
「見た?」
「ええ」
見られた二人はそれぞれ囁き合った。
「殿下は私達の方を御覧になってるわよ」
「わかってるわ」
「いい調子よ」
「そうね」
彼女達はもう王妃になった気分であった。マニフィコもそれを見て満足そうである。
「これでよし」
満面に笑みを浮かべて笑っている。頭の中ではもうこれからのことについて考えている。
「閣下から陛下か。ふふふ」
「さてさて」
だがそれを見ながらダンディーニとラミーロは全く別のことを考えていた。
「この三人は上手く動いてくれそうだな。面白いことになってきた」
「あの娘は何処だ」
これから起こるであろうことを思いほくそ笑んでいるダンディーニに対してラミーロはチェネレントラを探していた。
「何も隠れることはないのに」
「さて」
だがここでダンディーニが芝居をはじめた。
「そこにある二輪の花」
「私達のことでしょうか!?」
「無論」
彼はそれを受けて頷いた。
「はい、その通り」
ダンディーニは頷いてみせた。
「どちらもまるでエトルリアの像」
「まあ」
二人はそれを聞いて思わず喜びの声をあげた。
「身に余る光栄でございます」
「いやいや」
彼は鷹揚に頷く。そしてまたラミーロに囁いた。
「如何ですか」
「中々いいぞ」
ラミーロはそれを受けて頷いた。
「その調子だ、いいな」
「わかりました」
彼は主にそう言われるとまたはじめた。
「私がある国に使節として向かいこの国に帰ったその時既に父であられる王は病床にあられた」
「はい」
「おいたわしや」
それを聞いて皆頭を垂れた。皆王への忠誠は持っていた。
「そして私にこう言われた。すぐに妻となるに相応しい者を探し出して選べと。それを受けて私は今この屋敷にいる」
「左様でございましたか」
「うむ。それで」
ダンディーニは話を続ける。ラミーロはその間に辺りに目をやりチェネレントラを探す。そして遂に彼女を台所のところで見つけ出した。
「そこにいたのか」
そしてダンディーニにまた囁いた。
「この屋敷にもう一人娘がいるかどうか尋ねてみろ」
「はい」
彼はそれに応えた。そしてすぐにマニフィコに尋ねた。
「男爵」
「はい」
「この家にいる娘は二人だけかね。何でも三人いるそうだが」
「あ、それは・・・・・・」
彼はここでバツの悪そうな顔をした。
「実は・・・・・・」
「何かあったのかね」
「はい」
彼は暗い顔を作って答えた。
「実は亡くなってしまいまして」
「そんな・・・・・・」
台所の方でそれを聞いていたチェネレントラは今にも泣き出しそうな顔になた。
「言うに事欠いて何ということを言うのだ」
ラミーロはそれを聞いて怒りを覚えたがそれは何とか抑えた。そしてそのまま従者になりすまして様子を見守った。そしてダンディーニにまた言った。
「そこの台所のところにいる娘は何なのか聞いてみろ」
「はい」
彼はそれに従いまたマニフィコに尋ねた。
「それではあそこにいる娘は何だね」
「あそこ?」
「台所のところだ」
「ああ、あの娘ですか」
マニフィコは納得したように頷いてから答えた。
「使用人です。我が家の」
「そうだったのか。ふむ」
ダンディーニはそれを聞き納得したふりをしてみせた。
「少しあの娘を見たいのだがいいかね」
「あの娘をですか」
「そうだ。よいかね」
「殿下のご命令とあれば。これ」
彼はチェネレントラに声をかけた。
「殿下が御呼びだ。失礼のないようにな」
「けど・・・・・・」
チェネレントラはそれに戸惑った。自らのみすぼらしい格好を恥じているのだ。だがここでラミーロはまたダンディーニに耳打ちした。
「格好はどうでもいい。早く来るように言え」
「わかりました」
彼はそれに答えてまた言った。
「服装なんかは気にしない。早く来るように」
「殿下の御言葉だ。早く来なさい」
「わかりました」
彼女はそれを受けて顔を俯け恥ずかしそうに出て来た。そしてラミーロ達の前にやって来た。
「彼女が我が家の使用人でございます」
「宜しくお願いします」
チェネレントラは頭を下げた。ダンディーニは彼女に顔を上げるように言った。
「はい」
彼女は顔をあげた。だがそれを見ているのはダンディーニではなくラミーロであった。彼女もそれは同じであった。
「それで」
ラミーロはまたダンディーニに囁いた。
「彼女を宮殿に呼んではどうかと言ってみろ」
「はい」
それを受けてまたマニフィコに対して言う。
「男爵」
「はい」
「彼女も宮殿に呼んではどうかね」
「ご冗談を」
彼はそれを聞いて笑った。
「この娘は単なる使用人ですよ。それを」
「構いません」
しかし彼はそれでもそう答えた。
「わかって言っているのです」
「しかしですな」
「続けろ」
ラミーロはダンディーニにそうハッパをかけた。
「いいですから。それとも彼女を宮殿に入れては何か不都合でもあるのかな」
「いえ、それは」
そう問われてやはり口ごもった。
「では問題はなし、ということで」
「いえ、そういうわけにはいきません」
それでも彼は引き下がらなかった。
「こちらにも何かと事情がありまして」
「次の国王の命令でも?」
「滅相もない」
そう言われて彼は顔を真っ青にさせた。表情も凍りついてしまった。
「何故殿下のご命令に逆らえましょうか」
「ならばわかってるな」
「しかし衣装が」
「それなら問題はありません」
ここでラミーロが出て来た。
「全てこちらで用意しますので」
「しかしですね」
「あの、もういいです」
だがここで当のチェネレントラがそう申し出た。
「私のことはいいですから。皆さんもう私のことは気になさらないで」
「しかし」
今度はラミーロがそれを止めようとした。だがチェネレントラの方が早かった。
「構いませんから」
そして台所の方に姿を消した。ラミーロはそれを追おうとしたがここであの髭の老人が出て来た。
「先生」
「殿下」
彼はラミーロに小声で言った。
「ここは私にお任せ下さい。いいですね」
「わかりました」
彼はそれに頷いた。そしてここは彼に任せることにした。
老人はまず裏手に回った。そしてそこから台所の方に来た。そこからそっと中に入った。見ればかなり酷い台所である。まるで廃墟のようであった。
「こんなところで料理ができるのだろうか」
老人はそう思いながら中に入る。そして中を見渡した。
そこにはチェネレントラが蹲っていた。そして一人泣いていた。
「これ」
老人はそんな彼女に声をかけた。チェネレントラはそれを受けて顔をあげた。
「貴方は・・・・・・」
「悲しむことはないよ。私の名はアリドーロという」
「アリドーロ」
「そうじゃ」
まずは彼女を安心させる為に名乗ってみせた。
「貴女の力になる為にここに参りました」
「けれど私は」
「悲しまれることはないのです」
拒もうとするチェネレントラに優しい声でそう語った。
「貴女の本音を御聞きしたいのですが」
「はい」
「今の状況から出たいですね」
「はい」
彼女はそれに答えた。
「今の惨めな立場はもう・・・・・・。けれど私にはどうすることも」
「できるのです」
アリドーロはまた言った。
「貴女にはその力がおありです」
「そうでしょうか」
「はい。今あそこにいる者達ですが」
マニフィコとその娘達を指差す。
「あの者達は所詮は道化です。近いうちに道化に相応しい目に遭うでしょう」
そして今度はチェネレントラに対して言った。
「ですが貴女は違います。貴女のその御心は私は知っているつもりです」
「有り難うございます」
「ですからその御心に相応しい幸福があらなければなりません。そしてその幸福は」
言葉を続ける。
「私が授けましょう」
「貴方が」
「はい」
アリドーロはそれに答えて頷いた。
「その為にこちらに参ったのですから」
「お気持ちはわかりますが」
だがチェネレントラの不安そうな顔は変わらなかった。
「何故私にそこまでして下さるのですか」
「先程の御礼です」
アリドーロはそう答えた。
「貴女は先程私にパンとコーヒーをくださいましたね」
「はい」
「それへの御礼です」
「そんなことで」
だが彼女はそう言われても信じようとはしなかった。
「私をからかっているのではないですか?」
「滅相もない」
だがアリドーロはそれを否定した。
「宜しいですか」
「はい」
「御心を高く持って下さい。貴女はその気高く優しい御心故に救われるのですから」
「あの」
だがチェネレントラはそれでも表情を暗いままにしていた。
「一体何のことかわからないのですけれど」
「それでしたら」
彼はそれを受けて語りはじめた。
「貴女も神は信じておられますね」
「はい」
チェネレントラはそれに答えた。
「勿論です」
「ならば話が早い」
アリドーロは話を続けた。
「神は心優しき者をお救いになられます。そう、貴女のような方を」
「私を」
「そうです。その為に私はここに来たのです。神は常に天界の玉座にて貴女を見ておられます」
「何と」
「神が貴女を救われるのですよ。今までの苦労、そしてその御心をお知りになられて。聴こえませんか」
チェネレントラに語る。
「神の御声が。さあここを出ましょう」
「けれど」
「御心配なく。彼等も宮殿に向かいます。貴女に対して何かを言う者はいません」
そう言ってチェネレントラを安心させた。そして彼女を裏から台所から出して導く。しかしチェネレントラはそれでも行こうとはしなかった。
「おや」
アリドーロはそれを見て言った。
「まだ戸惑っておられるのですかな」
「はい」
彼女は首を縦に振ってそれに応えた。
「信じられません、そんなお話」
「今はそうでしょう」
彼はにこりと笑ってそう言った。
「ですが徐々にわかってきます」
「そうでしょうか」
「ですからこちらへ。そして馬車に乗りましょう」
彼女をさらに導いた。チェネレントラは戸惑いながらもそれに従いついていくことにした。
見れば表からはマニフィコと姉達が出ていた。そして馬車に乗せられ宮殿に向かう。チェネレントラはそれを横目で見ながらアリドーロに従って進む。
「さあ、これに」
そしてアリドーロの馬車に一緒に乗った。そして彼女も何処かへ向かうのであった。
ほうほう。
美姫 「今回はオペラ版のシンデレラだそうよ」
魔女とかは出てこないけれど、こうしてチェネレントラは城へと行く事になったんだな。
美姫 「これから、どんな風に話が進むのかも楽しみね」
うんうん。とっても面白いな。
王子が替え玉だったり。
美姫 「本当よね。一体、どんな結末が待っているのかしら」
次回も楽しみにしています。
美姫 「待っていま〜す」